『今日のトーテミスム』3章


クロード・レヴィ=ストロース 『今日のトーテミスム』読書ノート
 [1970仲沢紀雄訳 みすず書房


三章 機能主義的ト―テミスム


マリノフスキーの総合>


エルキンは、一方でラドクリフ・ブラウンの教訓から先人達よりも緻密な分析を行い、他方ではマリノフスキーにならってより大まかな総合に支えを求めた。

マリノフスキーのトーテミスム解釈は、自然主義的、実利主義的、情緒主義である。
彼にとっていわゆるトーテム問題は個々で取り上げれば解答の容易な三つの問いからなる。


Q1なぜトーテミスムは動植物に訴えるのか?
A動植物が人間に食物を提供し、食物の受容は未開人の意識において感動を呼び起こすから。


Q2人間と動植物間の関係にもとずく信仰、増殖の儀式、禁制および飲食の儀式は何故なされるのか?
A動物は自然と人間の仲介者であり、畏敬、危惧、渇望等の感情をおこさせる。その種を掌握しようとする願望に祭祀は対応する。人間が動物に働きかけるためには同じ本性を分け持っていなければならず、そこから殺害や食事の禁制や種を増殖させる力の肯定が生じる。


Q3トーテミスムにおける社会学的面と宗教的面はいかに並存するか?
Aあらゆる儀礼は呪術へ向かい、呪術は個人ないし家族の専門化の傾向を示す。家族自体が氏族に変貌する傾向をもっているので、各トーテムと各氏族の対応は問題ではない。


かくしてトーテミスムはあたりまえのこととなる。
「トーテミスムは、未開人が環境から自己に有益なものを引き出すための努力および生存競争において、宗教によって与えられた祝福よしてわれわれに現れる」(マリノフスキー)


問題は二重に逆転されている。
トーテミスムはもはや一文化現象ではなく《自然な条件からの自然な帰結》である。ここでトーテムミスムは生物学及び心理学の領域に属し、その存在の理由や多様な形態を考察することは二次的な興味にしか値しない。


ラドクリフ・ブラウンの第一理論>


第一理論はその原理においてマリノフスキーより分析的かつ緻密だが結論は似通っている。ボアズ同様、ラドクリフ・ブラウン(R・B)はトーテミスムを、神話や儀礼が表明している人間と自然種との関係の一つの特定の場合に還元するという企てを告げる。

経験的事実の複雑さを帰納的方法で解決しようとするこの試みはデュルケームによって初めてなされた。R・Bはデュルケームを批判し彼の解釈を逆転させる。


デュルケーム:秩序維持のための標識としてのトーテム→トーテムへの儀礼的態度>
氏族の恒久性と連帯性を確保し社会秩序を維持する必要⇒恒久性と連帯性が依存するのは個人の感情であるから⇒個人の感情が有効に表明されるためには⇒その集団的表現が必要とされ⇒集団的表現は具体的な個物に固定される(→社会を象徴する標識ex国旗、王など)。したがって、トーテムが標識となったのは動植物が手近にあり象徴となりやすいから。


<R・B:トーテムへの儀礼的態度→秩序維持の為の標識としてのトーテム>
 動植物と人間の間の自然な利害関係がその儀式化された行為を引き起こし、社会的分化に従って儀礼上の分化がなされることでトーテムは社会の各部分を区切る標識となる。


R・Bにとっては、自然は社会に従属するというよりも、むしろ合体されている。トーテミスムの最終的な解釈は、儀礼的、宗教的分化をして社会的分化に歩を譲らしめることになりうる。どちらの分化も《自然な》利害関係に左右されつづける。マリノフスキーと同様、ある動物はそれが《食用に供せられうる》のでなければ《トーテム》とはならない。

実利主義的憶測vs経験的根拠
いかにしても実利性を求めると、トーテムの動植物に原住民の文化という観点からいかなる実利性もみいだせない数知れぬ例につきあたる。
(Ex病気、嘔吐、死骸、《近親の死を告げる》流星、はえ、蚊などのトーテム。)


フォースが研究したティコピアにおいて、トーテム植物をその食糧としての有用性から解釈すると、食用の魚がトーテム体系から除外される理由が説明できない。人間とその需要との間では文化が媒介をなしており、両者の関係を自然の言葉で考えることはできない。
植物種にかんしてさえ経済的利点から序列づけた表はトーテム体系とは対応しない。P108

 トーテムとなる動植物は捕食に適したものであるというよりも観察に適したものであり、人間とそれらの関係は生きた関係ではなく概念的に考えたものだ。関係をことばで表すことによって、精神は実際の目的性と言うよりも理論的な目的性の導くままに身を委ねる。


<呪術と感情>


トーテミスムの理論を打ち立ててから十年後、R・Bが呪術をめぐってマリノフスキーと対立したことはR・Bの後期の思想の進展を示している。

マリノフスキーは首尾一貫しており呪術の問題をトーテミスムと同じ仕方で処理した。⇒<呪術のあらゆる儀礼および慣行は、人間にとって結末がさだかではない企てに自己を委ねるさいに覚える不安を除き、ないしは軽減する一手段にすぎない。>

呪術と危険(リスク)の間の連関は少しも自明なものではない。あらゆる企てには危険が伴う。いずれの社会においても呪術はいくつかの企てを包含する限定された分野をしめている。人間社会が、どのような企てが危険(リスク)が多いあるいは少ないとみなすのかを決定する客観的基準はないのだから、包含された企てがまさに社会を不確実なものにするとの主張は論点の先取りになろう。

実際に危険が伴う活動形体が呪術に無縁であるような社会集団も知られている。
Ex儀礼のともなわないヌギンド族の養蜂p110。

マリノフスキーが措定した経験的関係はしたがって確認されない。彼の論法はR・Bが気づいたように反対の命題にしても、もっともらしいものとなる。つまり、人々はある状況におかれて不安を覚えるから呪術に訴えるのではなく、呪術にうったえるからこれらの状況が不安を生じせしめる、のだ。


この論法はR・Bのトーテミスムに関する第一理論にも当てはまる。彼は、人間は有益な動植物種に対して儀礼的態度をとると主張するが、むしろ人々が何らかの利点を見いだすに至るのは、これらの種に対して守っている儀礼的態度のゆえだ、とも言えるだろう。

不安に訴えることが説明の輪郭なりとも提供するためには、不安は何に存しているのか、ついで無秩序な感動の構造と的確で範疇に分けられた行為との間の連関を明らかにしなければならない。不安はひとつの原因ではなく、人間が内的同様を主観的に知覚する仕方である。知性で捉えうるも関連は行為と感受性という未知の現象の陰との間にはない。

情緒性は人間のもっとも不明確な面であるため、人々は説明できないものはまさにそれゆえに説明に適さないことを忘れて、これに訴えようという誘惑に常時誘われた。理解できないという性格は、もし説明が存在するなら、ほかの次元にもとめるべきだということを示しているにすぎない。さもなければ、問題を解決したと信じながら別の名札をつけて満足していることになるだろう。


このような錯覚がトーテミスムに関する省察を歪曲したということは、初期のR・Bと同様、『トーテムとタブー』におけるフロイトにも見られる。

クローバーは、フロイトにおいて父親の殺害が回帰の潜在性の象徴的表現(=トーテミスムやタブーのように、繰り返し見られる現象ないしは制度となって現れる心理的態度を代表する非時間的類型)とされていることを見て取る。

しかし真の問題はそこにはない。フロイトの主張に反して、社会的制約は、その起源も執拗さも、異なる時空間に存在する人々を跨いで同じ性格を示しながら繰り返し現れる推進力ないし感情の働きでは説明できない。

制度および慣行が、その最初の起源となった個人的感情に似通った個人の感情によってたえず活力を得ているのなら、制度や慣行はつねに情緒的豊富さを有しそれによって肯定されることになるだろうが、事実はそうではなく、制度、慣行への忠実さの多くは因襲的態度に由来していることが知られている。慣行は内的感情を生じせしめる以前に外的規範として与えられ、これらの規範が、感情が現れうる境遇を決定する。

我々はデュルケームの方に歩み寄っていたように見える。しかし窮極的に分析すれば彼もまた社会的現象を情緒性から派生せしめている。彼の理論は必要から出発し感情へ訴えることで完結する。

彼にとってトーテムの存在は、最初は恣意的に選ばれた象徴でしかなかったものに動植物の像を認めたことに由来する。しかし人々は自分たちの氏族への所属をなぜ標識によって象徴することになったのか。彼の答えは《共同生活によって結び合わされた、自己の身体にこの生活共同体を想起せしめる映像を描き彫りこましめる本能》にゆえに、である。

これまで批判してきた理論同様、神聖なものの集団的起源において完結する彼の理論は論点の先取りに依存している。儀式の際に感ずる感動が、儀式をうみ維持させるのではなく、儀礼活動が感動を兆発するのだ 。すなわち、“わきたつ社会環境とその興奮そのもの”が宗教的理念からうまれたどころか、社会環境は宗教的理念を前提としている。

推進力及び感動はつねになにものかに由来している。それらは帰結であって、決して原因ではない。原因は、生物学のように有機体の中に求めるか、それでなければ知性のうちにのみ求めることができる。後者こそ心理学及び民俗学に与えられた唯一の道である。

『今日のトーテミスム』1章


スペルベルの議論についての考察を開始する前に、まずはその第一の参照点となっているレヴィ=ストロースの議論を再考する必要もあるかと思い、数年前に作成した読書ノートを以下で再録しておく。


クロード・レヴィ=ストロース『今日のトーテミスム』
[1970仲沢紀雄訳 みすず書房]読書ノート


第1章 トーテム幻想28〜55


トーテミスムの名の下に集められた現象の意味場の定義*。


*以下の方法により定義する。
一、研究の対象とされた現象を、二つないしはいくつかの現実の項、あるいはそのような項となりうる可能性をもったものの間の一つの関係として定義する。
二、これらの項の間の入れ替えの可能性を表にする。
三、この表を分析の対象とする。表の次元に限られた場合、分析はいくつかの必然的な結合に達することができる。最初に問題となった経験的事象は可能ないくつかの組み合わせにすぎないが、組み合わせの全体系は事前に組み立てることができる。


トーテミスムという言葉は、自然と文化という二つの系列の間に観念的に措定された、いくつかの関係を包括する。

自然の系列は一方に範疇、他方に個体、文化の系列は集団と個人を含む。これらの項は、それぞれの系列で集団的および個別的な二種の存在様式を区別し、二つの系列の混同を避けるように選ばれるが、選択の客観的根拠はない。


文化  自然    ex   
集団 範疇 1 オーストラリア 
個人 範疇 2 北米インディアン
個人 個体 3 モタ族
集団 個体 4 ポリネシア、アフリカ


4つの組合せは論理的には等価値だが、最初の二つの組み合わせのみがトーテミスムとされ3はその萌芽、4はその名残りとされた。つまりトーテム幻想は同じ型の現象が属する意味場の歪曲に由来する。意味場のいくつかの相が他の相の犠牲において特別に扱われ本来持つべきでない独自性と奇抜さを付与されている。それらの相の一見そうみえる価値が現実をまちがって切り分けたことに由来しているのを納得するには、いくつかの実例を考察すれば十分である。


<オジプワ族>

・トーテム起源神話(p34):神=トーテムと人間の関係

第一に、この神話は人間とトーテムとの間に離接に基づく直接的関係のありえないことを主張している。ありうる唯一の関係は《おおわれた》もの、したがって隠喩的なものである。
第二に、この神話は個人的関係と集団的関係との間にもうひとつ別の対立を設定している。インディアンが死ぬのは、超自然的存在が団体行動を乱した故である。

この二重の関係のもとにトーテムとの関係と守護精霊との関係は暗黙裡に区別されている。後者は孤立した個人的探求の場(二)として与えられる直接的関係(一)を想定している。


トーテムとの関係:間接的、隠喩的
守護精霊との関係:直接的、換喩的、序列的


最後に、原住民の理論は、一つ一つ個別的に取り上げた関係を足し合わせ、それぞれ人間の一集団を一つの動物種に結びつけてトーテム組織を作り上げようという誘惑に対し警告を発する。本来の関係は、一つは諸集団の区別に基づく体系、もう一つは種の区別に基づく体系という二つの体系の間にある。一方にはいくつかの集団、他方にはいくつかの種があり、それがいきなり互いに相関および対立関係に入れられる。


・《トーテム》体系と《マニド》体系


オジブワ族については、氏族の成員がトーテム動物から生じたという信仰の記録はなく、トーテム動物は祭祀の対象にはならず、殺すことも食べることも儀礼に従えば自由だった。トーテム体系には水、大気、地の三つの区分があることが推測される。
等価値の原則に支配されるトーテム体系と異なり《精霊》ないしマニドの体系は大小と善悪の二つの軸にそって階級づけ秩序づけられている。食物上の禁制は全て個人が夢のなかで精霊から禁令を受けたものと説明される。また、守護精霊の獲得は個人的な修行の仕上げであり、この超自然的保護は服従と分別ある態度という条件下にのみ保証される。2

これら全ての差異にもかかわらず、ロングは守護精霊とトーテムの混同をおかした。


<ティコピア>

この社会はアツア3たちに対し特別な関係を享受する酋長アリキによって支配される4つの父系集団からなる。食用にする植物種のうち4つが各氏族と特別な関連をもつ。


カフィカ 「ヤムイモ」、ファンガーレ「パンの木」、トーマコ「タロいも」
:それぞれの植物種は誰もが所有、栽培、収穫し、食料とする。ただし儀礼は担当の氏族のみが行う。

タファ 「やしの木」
:特定の儀礼はなく、いくつかの禁忌に従う。


三氏族は自然種に対する関係を儀礼によって表明し、第4の氏族は禁制に依存している。したがって、これらの示唆的行為はボアズの相同性の規則に対する批判のささえとなる。


ティコピアでも人間と植物種の関係が宗教学と社会学との二重の次元に現れている。

起源神話(p44):神=人間とトーテムの関係
オジブワとの共通点:<トーテムは遠ざけられるという条件下でのみトーテムとなる>
・トーテミスムとの関係において、個人の行為は否定的、集団の行為は肯定的。
・体系として一つの総体が貧弱化したあと残余としてトーテミスムが導入される。
・充実した意味場への非連続の侵入にもかかわらず自前でこれを埋めなければならない。つまり、諸項は互いに離れていなければならず、直接の接触は制度の精神に反する。


トーテムと宗教との区別はここでもまた類似性と隣接性、隠喩と換喩によって表明される。
(P46:4種の植物は神々を《象徴する》。一方で神々は魚、なかでもうなぎ《である》。)
宗教的次元において神と動物の関係は換喩の次元に属す。アツアは動物の体内にはいるとされる。また種全体は問題にならず基準から外れ神の媒介をなす一匹の動物が問題となる。4
アツアと呼ばれるのははまた食用に供せられない動物である。また神々はいくつかの動物に化身し、神性との関係のある魚を食べることが禁じられる。食事上の禁制を包含する超自然界との関係の体系は、ある動植物種とある氏族(他)との関係と結びつきながらも独立に存続する(p49イルカの例)。しかしトーテミスムという仮説は両者を混同する方向に導く。


<ティコピアにおける動物と植物との関係>
儀礼 食事上の禁制 神との関係 刻印づけられたもの アツア
動物 ない ある 現実的。個 食べられない 現れる 宗教
植物 あり ない 象徴的。種 食べられる 現れない トーテム


<マオリ族>

ニュージーランドは一つの限界的な例であり、相互に排斥しあういくつかの範疇を純粋な状態で区別することを許す。マオリ族で動物、植物、鉱物がトーテムの役を演ずることができないのは、かれらがこれを本当の先祖と考えているからである。

自然の存在ないしは要素が相互に、また、その全体が人間に対して、先祖と子孫という関係にあるとすれば、一つ一つの自然の要素ないしは存在が独立して特定の人間集団に足して先祖の役を果たすことはできなくなる。ポリネシアの思考は人類一元論であり多元論を要請するトーテミスムとはおりあわない。

トーテミスムは先祖の動物から子孫の人間への移り行きの各段階を説明するすべをもたない。トーテミスム的発生は自然発生ではなく、隠喩的関係にあり、その分析は《民族・生物学》よりむしろ《民族・論理学》に属する。複数の人間集団が複数の動物種の《後裔》であると宣言することは、集団間の関係を種の間の関係に類似したものとして措定するための具体的かつ省略的方法にすぎない。

マオリ民族誌は発生と体系という二つの観念の混同を解明するのに役立つだけでなく、トーテムとマナという観念、タブーという観念の混同を取り除くことにも役立つ。

・テュプ:事物及び存在の内側から生じる。
・マナ:事物および存在の外側からおとづれ、無区別及び混合の原理を構成。

・タブー(タプ):親族集団内において最高位に位置する生命に対する深い畏敬。

うーん、気になる4


三島憲一 1980 「現象学と哲学的解釈学」読書ノート2(後半)
(『講座・現象学③ 現象学現代思想』 pp. 63-266 弘文堂。)


<注>この文章は、哲学的人間学、社会思想史、フランス現代思想文化人類学等を専攻する院生が参加する勉強会のために作成したものであり、要約型のレジュメになっています。つまり抜粋ではありません。興味をもたれた方は、直接本文に当たってみて下さい。ここに要約したもの以外にも、興味深い論点が多々提示されていますので。


*以下フッサールからの引用文には(hus)、ディルタイからの引用文には(dil)と表記。



3 意味の産出と意味の自体存在――ディルタイの意味論へのフッサールの影響


ディルタイの展開>
ディルタイにおいてロマン派解釈学の影響は、前述したように全体概念のすりかえというネガティブな側面をもたらしたが、しかし一方で<意味の産出>という主題をも与えた。
つまり、主観精神という<全体>が歴史の中で、客観的な意味・価値・理念を生むという考えからである。理性とか理論というものが、産出されたものでありながら相対的なもの主観への遡行に還元できないという側面、それらが自己に内属させている自体存在としての性格に目が向けられる。

「意味や意義は、人間とその歴史の中で成立していくるものである。だがそれは、個別的においてではなく、歴史的人間においてである」(dil)

:生の根源的な産出力によってイデア的客観性を伴った意味が成立する、しかも、それは歴史をもつ人間の相互交渉のなかで成立するものである。テクストの中で、著者の位置の主観的意図とは別に客観的な意味が成立するからこそ「著者が理解したよりもよく理解する」ことが可能になる。この原理は意味の自体存在の根拠であり、解釈の客観性を保証するものとして提示されている。

「(ある文学作品の)理念は、作品の構成のうちに働いている無意識の連関として存在しており、この連関の内部形式から理解がなされる。・・・解釈者がそれを取り出すのである。」

「作品の構造のうちに働く連関」は<成立してくる>ものだが、それはどういうことか。
個人の生は、次第に発展・展開していくにつれて、それまでの過去の全体がなんらかの構造的なまとまりを見せてくる。生の自己形成の歴史は必ずこうした構造連関を、その諸局面の間に示し始める。この連関をディルタイは「意味」と名づける。これは、ある時点での意図や心情とも、人生を振り返ってその意味を問う時の意味とも区別される。なんらかの<関係>によって、全体の項を中心に構造化されている状態のことである。


こうした意味を内在させた個人の生は、他者と相渉る歴史的人間の生であり、彼が属するグループ、社会、時代、文化、という高次の連関、さらに究極的には歴史的生の全体の連関に組み込まれている。個々の意味構造をもった連関としての統一体はそのつど上位の全体の中で構造の項となり、その意味要素の一つとなることによって、また新たに自己の意味構造を変更し、新たな意味を受け取る。


それぞれの全体=<作用連関>は、客観精神として構造化された意味を担うという点で普遍的なカテゴリーに属しながら、また新たな個々の意味を産出する母体である。
つまり、主観精神の産出作用と客観精神の所産性が、生成しつつある意味と沈殿し定着した意味とがともに入り組みあい作用しあう場所である。作用連関のうちで意味=作品の構成連関としての理念が浮かび上がるゆえに、後世の解釈者の方が著者よりもよく理解できるということになる。


フッサール意味論>
意味概念の媒介によるディルタイ思想の深化に、大きなインパクトを与えたのがフッサールの(意味の相対性に甘んじる心理学主義を解体した)『論理学研究』であり、特に第二部第一論文における意味志向と意味充実をめぐる議論である。


フッサールは次のように考察を展開する。表現は意味によって生命を与えられてはじめて表現となる。表現とは「あらゆる言説および言説の部分である。またそれと本質的に同質の記号である」(Hus)。この表現は三つの要因からなる。①表現の物理的側面、②「表現に意味を与え、場合によっては直観的充実を与える作用(Akt)」(Hus)、③「表現された対象に対する関係が構成される作用」(Hus)。②によって言語表現に意味が与えられる、例えば感覚的な音がただの音ではなく、表現となる。しかしそれだけでは空虚な表現でしかない。その意味を通してなんらかの<対象性への関係付け>がなされて初めて意味機能が公使される。例えば、現実かつ具体的に現前にある物体が名指されることによって、初めて意味が実現する。自体存在としての意味の志向が、なんらかの対象性に<関係づけられることによる意味実現>という考え方によりながら、ディルタイは、精神科学の対象である記号表現を理解することがいかなることであるかを考察していく。


ディルタイによる受容と変容>
第一にディルタイフッサールから受け取ったのは、記号表現の<内的統一>に基づく判断体験の<構造的統一>という考え方である。意味は直観に関係づけられ、そのうちで証示されることにより充実するが、この判断体験の表現そのもにはまた、イデア的諸法則が働いている。

「判断が諸単語を結び付けて文を作る側面に目を向けてみよう。すると受容の次元で新たな構造関係が浮かび上がってくるであろう。つまり、言説の諸部分を結び付けて陳述にする規則となっている関係である。ここで扱われているのは、純粋文法と名づけうる問題を解くことである。言語は『「生理的・心理的・文化的基盤をもっているだけではなく、アプリオリな基盤も持っている。その基盤は、本質的な意味形式であり、その組み合わせや変形に関するアプリオリな法則である。こうした法則によって本質的に規定されていない言語というものは考えることができない」。言語の意味は、ここに存在している法則に縛られている。したがってその法則を破れば、出てくるのは無意味である。『丸いまたは、一人の人間、そしてであるなどといっても、この結びつきに相当する表現された意義(ジン)がでてくるような意味は存在しない』。ここには外的な形態から内的な意味を読み取る方法の面白い例がある。意味の領域ではアプリオリな法則性が支配している。『この法則によれば、あらゆる可能な形式は、実在法則によって確定されたごく少数の原初的な形式との体系的従属関係のうちにある。この法則性はアプリオリなものであり、かつ純粋に範疇的なものであるから、それによって理論理性の構成の主要部分ないし基礎部分が学的認識にもたらされることになる』(以上、「」内はdil、『』内はhus)

われわれの思考の結合を支配するこの絶対的妥当性をもったアプリオリな法則性を、フッサールは純粋文法をめぐる考察のなかで、範疇的形式と呼んで探求する。ここにディルタイは「外的な形態から内的な意味を読み取る」可能性を見ようとする。その作業は、①歴史的世界(:表現の世界という対象性)に関する有意義な判断体験の構造の解明であり、②歴史的世界という表現の背後の意味、つまりこの世界の構成に関する考察となる。この二つの問いによって、「個別的直観から普遍的なものへの道」を切り開くことが試みられる。
しかし、その後のディルタイの議論では、判断構造に関する第一の問いが、意味の世界の構成に関する第二の問いに吸収されてしまっている。それゆえ、意味充実に関するフッサールの考え方も、自身の「理解のための全体への遡行」の考えに合わせて変質を受ける。


ディルタイにとって「意味というカテゴリーは、生の部分を全体の関係を表すものであり、この関係は生の本質にその根拠をもっている」。この考え方において、名称をそれが意味している対象に<関係づけ>、直観をもたらすとするフッサールの<意味充実>の概念が受容される。この時、名称とは表現である以上、客観精神であり、従って生の部分として把握され、名称が関係づけられるのは生の全体となる。そのため、生の全体への関係づけこそが意味充実であり、表面から得られる内部である、ことになる。表現が生の全体に関係付けられ、それを思念することにより意味が立ち上る。だが、生の全体が流動性のうちにある以上、意味は決して完結した自体存在には成りえない(解釈学的循環の再介入)。自体存在である個々の部分は、<規定されている>のに、全体に関係づけられると未規定なもの=規定されるべきものとなる。この最終的な規定を行うのは解釈者である。解釈者が自らも属している生の全体、つまり作用連関に客観精神としての文を関係付けることによって意味充実がもたらされることになる。


<作用連関>と<遡行>の考え方が結びつくことによって、生のなかに可能な意味の総体が潜勢的にあり、それが表現にもたらされることによって、それを産出する創造力としての生と表現との相関関係(作用連関の場)で、意味が顕在化する。こうした曖昧ながら伸縮時再な考え方によってディルタイは、ある時は意味の客体的側面に、ある時は生の創造力に焦点をあわせながら、具体的な歴史的対象の解釈と叙述を成功させていった。ここにある相剋、「言葉の純粋に論理学的な使い方としての<意味>」と「生自身から獲得されたカテゴリーとしての<意味>」との間の相剋は、フッサールの立場では、現象学のプログラムが完成した暁には、原理的には克服可能なものである。彼の目標は「意味の純粋形態論」である。だが、この<意味>はやがて彼においても、ディルタイの客観精神と同質のものへと変じて行く。


4 ディルタイフッサールの接点――遡行的理解――


意味を論じる時にフッサールにおいて常に問題となる<イデア的対象性>の特徴は、思考可能な反復と変奏を通じての同定可能性である。いっさいの反復を超えて、テクストはその同一性を保ち、かつ同定可能である。しかもそれにもとづいて、「意味内容を純粋に取り出した場合」の同定可能性も常に前提とされる。つまり意味以前の言語のイデア性である。

(「言語のイデア性」についての性格づけ→)言語のもっている客観性は、いわゆる精神世界もしくは文化的世界の対象性に備わる客観性であって、単なる物理的自然の客観性であない。客観的な精神的形態としての言語はそれ以外の精神的形態と同じ特性を持っている。

レアルな表現を想像のうちで反復し変奏することのうちにイデア的なものが浮かび上がる。換言すれば、レアルな表現が、イデア性にプラトン的に<参与>している。フッサールのこうした思考をディルタイは非難するが、両者の距離はそれほど開いてはいない。なぜなら、「精神的世界もしくは文化的世界の対象性に備わる客観性」と言語のもつイデア的客観性は同質であると言われているからである。表現(外部)の客観性と内部(意味)のそれの統一のもつイデア性、これはまさにディルタイの客観精神に対応する。客観精神とは、①人間精神の外化され客観化された形態、つまりイデア的に同定可能なレアルな表現、②「形象のうちに表現されたものの理念性」(hus)、③「言語の身体と表現された意味の統一体としての言語形態」の三層からなるからである。


ディルタイはレアルな現実から出発し、解釈によってそれを支える理念への到達を目指すのに対して、フッサールは理念的な存在を前提にし、そちら側から出発する。しかし、そのためには、あくまで実際のレアルな産出からの出発が暗黙のうちに行われる必要がある。ディルタイは循環と遡行、フッサールは反復と変奏と、方法意識に相違があるのみである。


フッサール自身、超越論的主観の意識生活におけるイデア的意味の歴史的産出を問う発生現象学へ向かうにつれて、ディルタイと共通の問題性を明らかにしていく。超越論的自我が純化されればされるほど、相関そのものである<生活世界>から出発せざるをえなくなるのである。


Ex「幾何学の起源」:「理念的客観性は、文化的世界のあらゆる部分の精神的所産(学問や文学の諸形象もこれに属する)に特有のものである。ピタゴラスの定理、さらに幾何学全体は、たとえそれがどれほど頻繁に言及されてきたにせよ繰り返し同一なのである」(hus)。ここでは、意味の産出がもっとも明確に起きている文学などと、意味の自体存在に重点が置かれていた幾何学的諸対象とが、「文化的世界の精神的所産」に備わる同じ理念的同一性を保証されている。この保証は、身体的イデア性を備えた言語と、それの表現する主題の理念性の統一によってなされる。

「語、命題、言説といったそのあらゆる特殊形態をとる言語そのものは、文法的態度に立てば容易に見てとれるように、徹底徹備理念的な対象によって構築されている[・・・]問題は、幾何学において主題となる理念的諸対象である。幾何学的理念性は・・・それが最初の発明者の心の意識空間内にある形象として置かれているもともとの人格内部的な起源から、いかにしてその理念的客観性に達するのであろうか。われわれがあらかじめ見るところでは、それがいわばその言語身体を受け取る言語を媒介とすることによってである」(hus)

いまやレアルな歴史の中で相対的に発生した意味が、言語身体の理念性を受け取ることによって、反復による同定可能な意味へ、理念的客観的な「独特な相互主観的存在に達する」その過程が問われる。しかもこの相互主観的存在は、単なる論理学的自体存在ではなく、レアルな歴史に内属した具体的な形成物=文化の所産であると同時に、客観精神のもつイデアルな自己同一性、つまり表現という具体性(embodiness?)でもあるものとして定位されるようになる。それゆえ、文化的所産である幾何学の発生を遡行して、理念化の道筋を辿ることが試みられる。ディルタイから見れば、これこそ「外部(人類の歴史の中に感覚的に与えられたもの)から内部(決して感官に触れ得ないが、やはり外部に作用し外部に表現されるもの)へ(遡行していく)という理解の運動である」。


この遡行が絶えず可能であることが、表現の学問的真理性の不可欠の条件となる。明証的意味の成立が、構成の人によっても「追理解」できるようになっていなければならない。「追理解」とは個別的妥当を全体的妥当にまとめあげる<解釈>への志向に裏打ちされた能動的な理解である。


フッサールにおいて、こうした「作業」いっさいの前提となるのは、①(テクストなどの)形成物がすべて超越論的自我の産出物であり、②それゆえに歴史性をもち、③したがって歴史とは、この超越論的自我の<能作する生>を根拠にし、それによってのみ歴史であありうる、ということである。この全てにディルタイとの並行関係が認められる。
イデア的対象としての精神的伝統は、能作によって外界に生み落とされ、表現となったのであるが、この表現はレアルな歴史的世界に織り込まれたままイデア的であり続ける。
生の遂行による客観精神の誕生、生自身の理念的客観化である。
②この客観化のみが、われわれに歴史性を自覚させる。「すべてはここ(生の客観化)で精神的行為によって成立したのであり、それゆえ歴史性なる性格を担っているのである。それは、歴史の産物として感覚的世界そのもののうちに織り込まれているのである」(dil)。
「文化的事実は、それ自身において本質的にある歴史的なものであり、そのようなものとして本質必然的にみずからのうちに歴史の地平を担っている」(hus)。
③<能作する生>の流動性のうちに歴史の発生する根拠が認められる。この生とは、「世界が存在するか否かにかかわりなく、私と私の生は不可触である」とするデカルト的還元を受けた超越論敵自我の「認識する存在と生の絶えざる流れ」である。能作とは、したがって志向性の遂行である。ディルタイも、生の遂行に伴う自己還帰的能力のついに、客観の成立を、つまり志向性の遂行を見ていたといえる。この生=精神という概念こそが実証主義の非歴史的な前提を覆すのである。


以上から、ディルタイが(解釈において)「遡って翻訳する」と性格づけ、フッサールが「遡行」と名づけたものこそ、意味充実の志向性分析であることがほぼ明らかになる。学の対象構築そのものが、つまり歴史、社会、自然等の「範疇的に形成された対象そのものが、それぞれに相応した意味形態の充実された判断にほかならない(G・ミッシュ)」のである。
それゆえ歴史化する精神の志向性分析の必要性が強調される、「絶対的で究極的な固有性をもつ精神的存在と、この精神の中でまたこの精神から生じたものとの真の分析、すなわち志向性分析が必要となる」(hus)のである。従って、『危機』書における<歴史への転換>なるものは、歴史化されていく志向性の分析というプログラムの徹底化なのである。それは「人類と文化的世界との相関的な存在様式の(すなわち志向性の)普遍的歴史性という全体的問題」(hus)の解明の企てである。しかも、結局のところ、能作する生=精神の律動性の探求であるこの志向性分析に、フッサールはやはり<理解>の名を与えざるをえない。外部から内部への遡行というディルタイ的意味での<理解>である。


こうして主観性の生こそが歴史の根拠、歴史そのものであり、それゆえ外化とそこからの立ち帰りとしての分析的遡行が必要であるというテーゼにおいて、両者は出会うのである。
そうである以上、ディルタイの<作用連関>の考え方と同様なものがフッサールにも見出される。作用連関とは意味を担いながら、新たな意味形成作用の単位であり、時代や文化として現出するが、最終的には歴史の全体のことである。この主題がフッサールでは次のように述べられる。「もともと歴史とは、根源的意味形成と意味沈殿が相互に共存しあい、相互に内在しあう生き生きとした運動以外の何ものでもない」(hus)。この共通性はまた、歴史についての両者の目的論的確信の類似と表裏一体をなす。ディルタイにおいてそれは、歴史とは人間の生の自己経験の場であり、従って生が姿を表すこの歴史こそが、歴史を扱う精神科学の体系的認識論的根拠づけでもあるという目的論的確信として帰結する。歴史と体系、理解行為とその認識論的根拠づけとは、作用連関の全歴史的目的論的性格において合流する。対応するようにフッサールには、ヨーロッパの歴史に内在的に働く理性の目的論が、歴史理解の根拠であるという確信がある。「認識論的起源と発生的起源を原理的に分離する支配的ドグマは・・・・根本的に誤っている」(hus)。


5 ディルタイおよびフッサールの「思想のほころび目」


だがディルタイフッサールの共通性はとりあえずここまである。分岐点は、歴史のアプリオリな本質構造についての考え方をめぐってである。(以下省略・・・)

うーん、気になる3


三島憲一 1980 「現象学と哲学的解釈学」読書ノート1
(『講座・現象学③ 現象学現代思想』 pp. 63-266 弘文堂。)


*以下フッサールからの引用文には(hus)、ディルタイからの引用文には(dil)と表記。


現象学と解釈学は、その由来からみてもあり方からみてもきわめて異質な動きである。

前者は、実践に対する理論の優位を前提とする。
つまり、世界内在的な精神的・心理的諸体験を還元によって<括弧に入れ>それら全てを、世界の一部ではないはずの超越論的自我の構成作業による思念と見て、その構成のあり方を解き明かそうとする。

後者は、理論に対する実践の優位を前提とする。
つまり文献その他の精神的形成物という世界内在的な具体的<資料>を対象にした解釈技術から出発している以上、いっさいの精神的産物の時間内的相対性を当然の前提とする。同時に、それらの資料の解釈についても、その学的客観性よりも、解釈行為が解釈者の生の遂行、つまり実践の様態であることに力点が置かれる。

本稿では、解釈学の哲学化を試みたディルタイ現象学的に理解された理論の絶対的優位を信じたフッサールにおいて、①この両極的対立のさまを浮き彫りにする(1,2節)、②と同時に、深層にみられる両者の親近性を指摘し(3,4節)、③にもかかわらず二人を分断する深淵を指し示す(5節)。


フッサールと歴史解釈


問題の特定:
普遍的な理性原理にもとづいて打ち立てられたはずの近代的な学の理念の失墜。その元凶は、近代的合理主義がいっさいの認識批判にもかかわらず内在させていた素朴な自己限定にある。例えば、デカルトは、<デカルト的判断中止>によりいっさいの存在妥当を差し控えるが、判断中止を行うこの<わたし>自身は中止の対象に含まれない。結果、心的なものが<わたし>として世界の外で世界構成的に働くはずの超越論的自我と切り離され、世界内の存在でしかなくなり、その即自態を研究すると称する心理学の登場を許すことになった。したがって、フッサールによれば、いわゆる精神科学とその解釈学における<解釈>の怪しさは、心的領域の学的基礎付けを行うべき超越論的自我の確立における不徹底さに起因する。この自我の相関物として範疇的に形成された対象(自然、社会、文化)としてはじめて学がみずからに対して透明になりうるのに、この自我が曖昧なために、諸学は技術に堕落し哲学は拘束性を喪失する。つまり近代においては「環境世界的自然を精神には縁のない自然と見なし、そしてその結果、自然科学によって精神科学を基礎付けて、いわゆる精密化しようとするのだが、それは不合理である」(hus)。フッサールにとって、その不合理性を集約的に露呈するものこそ、十九世紀後半からの精神科学(あるいはそこにおける歴史の解釈技術、歴史主義的相対主義)に他ならない。


解決策の提示:
フッサールが依拠する諸学再建の原理は、精神科学に対抗した彼なりの歴史解釈の原理、「近代の哲学史の全体を統一する最も深奥な意味」を見出す解釈の原理である。しかも、その原理を与えるのは、真の哲学のあり方とその真性な歴史的伝統を置いてほかにない。というのも、「哲学すなわち学問とは人間性そのものに<生得的>で普遍的な理性が開示されてくる歴史的運動」に他ならないからである。ここに、二つの課題が設定される。
①理性の自己解明への道を歩み始めたギリシアの創建へと立ち帰り、それを問うことにより、歴史の中に潜んでいる<目的論的構造>を顕勢化し、究極的建設を行うこと。
②理性に導かれたこうした自己省察の決断に基づき哲学史の目的論的解釈を遂行すること。


循環:
第一の課題と第二の課題のあいだには、相互補完的な循環関係が働いている。哲学史に潜む理性の目的論を見出す解釈学(②)抜きには、創建への洞察も、それに応えた究極的建設(①)もありえないし、逆に後者の究極的開明が確立(①)しなければ、歴史における理性原理の目的論的内在というテーゼに至る解釈(②)も不可能である。つまり、「(創建の)端緒を理解するには、与えられた学の今日の形態から、その発展へと遡らねばならない。しかし、端緒を理解することなしには、この発展は意味の発展としては何も語ってくれない」(hus)のである。三島は、この結論と前提のどちらが分からないという関係性がまさに解釈学的循環を思わせるものであると指摘する。


循環の乗り越え:
「いかなる歴史的な哲学者も、自分なりの自己省察を行っている」し、「自分自身の研究についての自己理解を作り上げてもいる」、しかしながらこのような「自己解釈」についての歴史的研究からは、何一つ学び知ることはできない(hus)。個々の哲学者や哲学の理解は、彼らの言説の奥底に潜んではいても、彼等自身の意識にも上らず、主題化されなかったが、じつは哲学史のたえざる主題であった問題に照らしあわせてのみ、可能になる。つまり、「過去の思想家が自分では決して理解することができなかったほどに彼等を理解する」ことが解釈の原理とされる。だが、フッサールが精神科学に対抗して打ち出すこの解釈原理、「本人以上に本人を理解する」とは、まさに彼が批判する当の解釈学の原理に他ならない、と三島は指摘する。


ディルタイの解釈学――人間学的相対性への傾斜


問題の特定:
ドイツにおける精神科学は、ドイツ観念論の遺産と十九世紀の歴史学派の実証的思考の上に成立したものである。
18世紀なかば、啓蒙思想に対抗して、自分たちの言語・文化・歴史の特殊性の再確認として国民文化の自覚が生まれる(→ドイツ古典主義)。国民と文化の特殊性への意識は、別の特殊性としての他者への強い関心を引き起こした(→インド研究によって東洋にまで達したロマン派)。「国民性の評価のうちに、歴史学の今ひとつの大きな契機が潜んでいる。この認識はまず、ロマン派における諸民族の文化の研究から発したのである」(dil)。さらに、個別的特殊なものの一般的理解の可能性が問われるなかで、弁証法的思考の土俵が開かれてくる。個性に焦点を絞った歴史意識と、啓蒙的理性の完成への夢を結合したのが、自由の意識における進歩を説いたヘーゲルの歴史哲学であった(→歴史の理性化と理性の歴史化、そして「教養」概念の成立)。
精神科学の成立の今ひとつの大きな契機は実証主義的思考の定着にあった。十九世紀、非歴史的な産業社会の成立が、もはや生きていないものとしての歴史の実証的対象化をもたらした。それは同時に、市民社会的な文化意識の抽象的普遍性が具体的特殊的歴史を押しのけ始めた時期である。こうして、歴史から市民的な実証主義的主体が自律し無縁になればなるほど、歴史が実証的学の対象として浮かび上がってきたのである。
 ディルタイは、ドイツ観念論に由来する歴史の全体化を視座に据えた歴史感覚を受けつぎつつも、歴史と教養の新たな関係の構築を試みる。しかも、その試みを彼は、脱歴史現象をもたらした当の実定的学問(精神科学、歴史解釈学)の土俵の上で行おうとしたのである。


解決策の提示:
ディルタイは、実証的学問の精密さの要求と観念論やロマン派の伝統への依拠を同時に満たすために、(自然科学的な<説明>と対置させる形で)心的事象の究明としての<理解>を中心概念に据える。この心的事象の主体とは生であり、生こそが<理解>の対象となる。生は、通常考えられるような盲目的なものでは決してない。むしろ生には、行為の自覚とでもいうべき独自の自己還帰的反省能力が伴っている。これは純化された明確な概念的反省以前のものであり、しかしながらいわゆる無意識の盲目の領域にあるものでもない。つまり、生の遂行は生が自らを経験することに他ならない。この生の自己反省は、外界への客観化として<表現>される。この表現されたものが<客観精神>と呼ばれる。それは言語、行為、社会制度等によって展開され、感覚的に経験可能な歴史的遺産として定着する。したがって<理解>とは、実証主義的な資料分析による<客観精神>の解釈を通じて、それを生み出した生の自己経験のありようへと迫ることに他ならない。さらに、自己経験への遡及は、それ自身がまた、解釈者の自己経験となる。こうして具体的な実証性と観念論的な生の律動がともに保持される。
 ディルタイにとって、解釈とは、表現となった生の自己経験の理解として起きる、生の新たな自己経験である。歴史とは人間の自己経験の歴史であり、精神科学が生の自己経験を新たに経験することによって生を明確化する試みである以上、精神科学そのものの根拠づけはすでに歴史によってなされていることになる。歴史そのものが目的論的に学を根拠づけている、それゆえに「著者本人よりもよく理解すること」が可能となる。
*この構想がフッサールの理性の目的論と構造的に類似していると、三島は指摘する。


循環:
問題は、実定的に定義された客観精神と、ドイツ観念論を思わせる歴史目的論的理解のあいだにある不整合である(*いかにして具体的な資料の分析が、歴史そのもののもつ目的を理解することになりうるのか)。客観精神とはディルタイヘーゲルから借りた概念であるが、決定的な変更が加えられている。ヘーゲルにおいては、自己自身を他在へと外化した精神が法、人倫、国家という客観精神の形姿をへて、再び自己自身へと立ち返るときに絶対精神へとステップアップするが、この運動はディルタイにおいて消失し、哲学も含むすべてが客観精神へと平板化され、それが、絶対精神の位置を簒奪した解釈者の歴史的理性によって理解される。そして、この理解のプロセスは解釈学的循環として記述される。つまり、個々の部分(ex:文献の一語)を解釈するにあたっては全体のコンテクストを参照する必要があるが、同時に、全体を理解するためには部分を理解しなければならない。さらには、部分と全体とは常に流動的である。文は語に対しては全体でもあり、作品に対しては部分である。さらに、作品も同時代の全作品の一部であり、それらもまた歴史の全体を知らずには理解しえない。こうして、解釈の作業は絶望的に膨大なものとなる。


循環の乗り越え:
この問題を解決するためにディルタイは、ロマン派解釈学の基本的前提に依拠する。つまり、いかなる部分のうちにも全体がたえず顕現しているという汎神論的な考え方(シュライエルマッハによって定式化される)である。だが個々の契機に宿る全体性が言われるこここには全体概念のすり替えが潜んでいる。この時、全体とは歴史の客観的な、いわば量的な全体ではもはやない。むしろ客観精神を生む母胎である生の宿す組み付くしえぬ創造性、生命性こそが理解の達するべき全体を意味していくる。理解とは、表現をその背後の「心的生命性へと遡及的に翻訳することである」(dil)ということになる。ここにはもはや<循環>はなく、あるのは<遡及>である。それは、<客観精神>から、それ以前の<主観精神>への遡及である。ディルタイは、歴史の一回的な所産の特殊性を学的知にもたらそうとしたが、彼が到達したのはそれと似ても似つかない、生の絶えざる創造性という無規定な一般性であった。こうした主観精神への立ち戻りは、真の歴史性の意識よりも、人間精神の所産にまんべんなく当り、それの持つ客観的意味よりも、産み出した生の律動性に内面的に耳を傾けるという、まさにフッサールの批判する歴史的相対主義に埋没する傾きをもつ。それは、すべてを客観的精神の産出者としての人間の共通性に解消する人間学の誕生である。実証主義と観念論の両者を受け継ごうとしたディルタイの精神科学は、その自己矛盾のゆえに客観精神をも放棄して主観精神へ退行するという意味での人間学化という歴史離れを起こしているのである。

デリダの穴

下記の論文については、いずれ詳細に検討する必要があると思われるが、
まずはレジュメをアップしておく。


J・デリダ(1967)1983「人文科学の言語表現における構造と記号とゲーム」)

(『エクリチュールと差異』第10章。野村秀雄訳 法政大学出版局


➠<<事件>>とでも称しうるような何事かが、構造という概念の歴史のなかで生じた。
                        ↓
*構造という概念や、さらには構造という言葉までも、いまやエピステーメーの年代すなわち西欧の科学と同時に哲学の年代に達している。しかし、<<事件>>の起こるまでは、構造、というよりむしろ構造の構造性は、つねに中立化され還元せしめられてきたのである。すなわち、それに一つの中心を与え、ある現前点に、ある固定した起源にそれを引きもどそうとすることによって成立するような行為によって。

➠中心とは、構造の(全体の形式の内部における諸要素の)ゲームを許すものであり、
と同時に、それを制限し閉じるものであった。
↓というのも↓
中心においては諸要素の交換や変形は禁じられる。したがって中心は、本来的に独自なものであるが故に、任意の構造の中にあってその構造を支配しながら構造性から遁れてしまうところのものそれ自体を構成する、というふうにいつも考えられてきたのである。つまり、それは構造の中にあると同時に外にあるものであり、全体の中心にありながら、全体に属してはいないところのものであった。
↓したがって↓
➠中心のある構造という概念は矛盾した形で統一している。
:基礎としての一種の不動性と、それ自身ゲームから遁れているがために安定した一種の核心とによって構成された、基礎付けられたゲームという概念。
    ↓そこにおいて↓
ゲームの渦中における繰り返し・代替・変形・変換とそれに伴う苦悩は、現前の形のうちにいつでも起源(アルケー)を喚起し終末(テロス)を見越すことのできる、意味というものの歴史において把握され制御されてきた。終末論も考古学も、構造のもつ構造性を還元し、ゲームの外にあって充実した現前から構造を考えていこうという動きを示してきた。
↓したがって↓
構造概念の歴史、形而上学の歴史は中心から中心への一連の代替、連鎖の歴史であった。
  ↓しかし↓
➠<<事件>> の以後、構造の中心を求める欲求を支配していた法則が再考されるようになる。
 ・中心はなんらかの現存する実在の形において考えられないものとなった。
  →この時、言語が普遍的な問題性の領域に侵入し、
中心が不在なために、すべてが言語表現(ディスクール)となってくる。
(ただし、それは、中心、起源、超越性などの意味されるものが示差性の体系の外においては絶対に現前しないような体系としてディスクールが了解される限りにおいてである。)
    ↓
超越的な意味されるものが不在であれば、意味作用のおよぼす領域とその活動は無限に拡大されることになる。

➠構造の構造性の思考としてのこうした脱中心化現象は、どこでどのように生じたか?
:時代の総体に属す現象であるが、最も根本的な形で展開しかけたのは、
 ニーチェ形而上学、特に存在と真理の概念に対する批判。
 フロイト:自己現前(意識、主体、自己同一性など)に対する批判。 
 ハイデガー:現前としての存在の決定に対する破壊。

しかし、これらの破壊的な言語表現はすべて、ある種の循環に捉われている。つまり、命題が、それによって否定せんとするところのもの自体のもつ形式や論理や公準の中へと忍び込んでしまう。

例えば:記号によって感覚的なものと知的なものの対立を超越しようとするレヴィ=ストロースの試みは不可能である。何故なら、記号は常にその対立によって決定されるものだから。

循環への捉われ方は様々だが、大なり小なり循環の公式化および形式化に近づいている。
 :「人文諸科学」においては、ある一つが特権的な地位を占めている。民族学である。
 ↓というのも↓
 民族学は、脱中心化現象によって初めて可能になった科学であるから。
民族学成立の条件である民族中心主義批判は、
必然的に、形而上学とその諸概念の歴史の解体と同時に生じた。

➠だが民族学は、伝統の諸概念を利用するヨーロッパの科学である。
そのため、民族中心主義(形而上学)を告発する瞬間に、必然的に民族中心主義の諸前提(形而上学)を自らの言語表現の中に受け入れることになる(←循環の典型例)。
 ↓循環が不可避的であるにしても、問題にすべきは↓
形而上学の歴史に対する批判的な厳密さによって計られる言語表現の質である。
     ↓
➠以下ではレヴィ=ストロースのテキストを考察する(主に4つの論点に対して)。
:その理由は、彼の仕事において、批判的な言語表現に関する一つの理論を構成する源となる、<ある選択>が明白に述べられているから(+その選択をデリダは批判したいから)。


①<自然と文化:『親族の基本構造』>
 レヴィ=ストロースは、自然/文化の対立図式を利用する必要と、それを信頼することの不可能性を同時に経験してきている。
➠『基本構造』の出発点は次の定義と、そこから導かれる一つのスキャンダルである。
[定義]
・いかなる文化にもいかなる規範にも依存せず普遍的に見られるものは自然に属する。
・各社会の規範体系に依存し異なる社会構造において変化するものは文化に属する。
 [スキャンダル]
・近親相姦は社会的な規則でありながら同時に普遍性という性格を持っている。

➠だが、自然/文化を対立させる概念体系の内部においてしか、スキャンダルは存在しない。
:この時、近親相姦は、自然/文化という対立とともに体系をなす一切の哲学的概念に
先行し、おそらくはそれらの諸概念を可能ならしめる条件のごときものとなる。
↓こうして↓
(西洋-哲学的)言語がそれ自体を批判する必要を内に有していることが明らかにされる。
  (括弧内はレジュメ作成者による)
 この批判は二つの仕方で行われうる。
①哲学の外への脱出:哲学の歴史全体の基礎的な諸概念に不安を抱き、解体すること
②方法と真理の区別(レヴィ=ストロースの取った道筋)
伝統的概念に真理や厳密な意味を付与することを放棄し、ただそれらが所属する古い機械を壊すために役に立つ道具としてそれらを使用すること。
          ↓
➠人文諸科学の言語が自己を批判するには、このようにしてなのだ。
レヴィ=ストロースは以後常にこの二重の意図、すなわちその真理としての価値を批判するところのものを道具として保存することを保持していく。

              ↑(<ある選択>の第一の内実=循環の形式化*1

(↓そして、本稿においてデリダは以後常にこの意図の二重性を批判していく↓)


②<ブリコラージュ(寄せ集め細工):『野生の思考』>
ブリコラージュの形式の中には言語についての一種の批評というものがみとめられるのであり、それは批評の言語そのものである。

➠しかし、不完全なテクストの遺産から諸概念を借用することをブリコラージュと称するならば、一切の言語表現はブリコラージュだと言わねばならなくなる。したがって、レヴィ=ストロースが、それとの対比でブリコロール(寄木細工師)を定位するところの技師(エンジニア)は、自らの言語の全体を<他からは何も借りずに>構成する、絶対的な言葉の創造者、言葉そのものでなければならなくなる。一切のブリコラージュから無縁なエンジニアという発想はしたがって神学的な発想に他ならない。
 
➠このようなエンジニアあるいは歴史的な受容を拒む言語表現というものを信じることをやめてしまえば、完全な言語表現は全てブリコラージュとなってしまい、ブリコラージュという発想に意味を与えていた相違はただちに解消してしまうことになる。
(再び循環の形式化)

③<神話:『神話論理学』>
 レヴィ=ストロースの努力は、単に神話に関する構造的な科学を提起することに向けられているだけではない。同時に、というよりも第一に、神話に関する彼の言語表現=「神話学:が自らを反省し、批評するという契機に彼の努力は向けられている。また、この自己批判の契機は人文科学の諸領域における全言語に関わる。


➠「神話学」について何が語られているのか
 :ある一つの中心、主題、特権的な参照、源泉、あるいは絶対的な始まりなどに対するあらゆる参照の明白な放棄=脱中心化の現象である。
  ↓その結果↓
 科学的あるいは哲学的な言語表現の絶対的要請であるところのエピステメーは放棄され、それに対立して、神話-論理的言語表現(神話についての構造的な言語表現)それ自体が神話-形態的なものでなければならないものとして提示される。つまり、それは、それが語るところのものの形をとらなければならないのである。

(参照:p228神話論理学Ⅰからの引用)

➠しかし、レヴィ=ストロースの仕事のもつ必然性は納得されるにしても、それに伴う危険を看過するわけにはいかない。                              
 :もしも、神話-論理的なものが神話-形態的であるならば、神話についてのあらゆる言語表現が同じ価値を持つことになるのであろうか。それらの言語表現の質を区別できるような認識論を求める要求は全て放棄しなければならないのだろうか。この問いに答えるためには、哲学的な論旨と神話素との関係の問題が明瞭に提示されなければならず、レヴィ=ストロースはその問いに答えていない。

➠危険性は、構造主義と経験主義の関係において明確に現れる。
レヴィ=ストロースの神話分析は、
経験主義への批判(「神話の構文法を素描するためには完全なデータは必要ない」)であると同時に、経験的な試論(「新たなデータが出現すればいつでも補足したり否認できる」)として提示されている。
↓しかし、この主張には二重の公準が含まれている↓
鄯:神話の総体化の作業は、古典的な様式では不可能とされる。この場合、有限の言語表現をもって制御不可能なまま無限の分析の豊かさを求める経験的努力が示される。
鄱:非総体化の作業はゲームという概念のもとに規定される。この時、ある分析領域の無限性は具体的な有限の言語表現によって被いえないかわりに、それをゲームの領域(:有限な一総体という囲い枠の中で無限に行われる代替作業の領域)へと読み替えることで分析の可能性が担保される。


④<浮遊するシニフィアン:『マルセル・モースの業績解題』>
➠ゲームの領域において無限の代替作業が許されるのは、ただその領域において、代替作業のゲームを捉え正当化する一つの中心が欠けているからこそである。
 ↓
➠中心の不在によって可能となるこのゲームの働きは、代補作用の働きである。
記号が中心の不在の状態においてそのかわりになるのだが、さらに代補としてそこに付け加えられているために、中心が決定されて総体化の作業はし尽くされることがない。この付加作用は、意味されるものの側の欠如を補い、そのかわりをなそうとするものであるために、浮動的なのである。「それ自体に固有の意味を持たず、ただ意味の不在に対立することのみをその機能とする」記号(マナ型の観念)による、意味の「代補的な配分量」が意味するものと意味されるものとの補完的な関係を可能にする。

➠それゆえ、意味するものの過剰やその代補的な性格は、ある有限性に、すなわり代補されねばならぬある欠如によるのである。
 :この時、レヴィ=ストロースにおけるゲームの概念の重要性が理解されうる。
↓しかし、ゲームに対する参照は主に以下の二つの緊張関係のうちに行われる↓


鄯<歴史とゲームのあいだの緊張>
レヴィ=ストロースの仕事において、構造性や構造の内的独自性への敬意のために、時間と歴史が中立化されているのをみとめなければならない。
・新たな構造は、その本質的条件として、過去や源泉や原因との断絶を通じて出現する。
・構造的な組織の固有性の規定は、ある構造から他の構造への移行の問題を無視することによってしか、つまり歴史を括弧にいれることによってしか、できない。
・このような「構造主義的」な瞬間においては偶然や不連続という概念が不可欠となる。だからこそ彼は「言語は突然にしか発生しえなかった」としか言えなかったのである。


鄱<現前とゲームのあいだの緊張>
➠ゲームとは現前の遮断である。
なんらかの一要素の現前は、いつでも、何かを意味してその代替物となるひつとの参照なのであって、示差性の一組織体系の中に組み込まれており、ある連鎖の動きをたどるのである。


ゲームはいつでも不在と現前のゲームなのだが、しかし根本的にそれを考えようとするならば、現前か不在かという二者択一の以前において、それを考えてみなければならない。
ゲームというものの可能性から出発して、存在を現前か不在として考えなければならないのであってその逆ではない。

➠解釈や構造や記号やゲームについて、二つの解釈がある。
①不可能となってしまった不在の源への郷愁
レヴィ=ストロース民族学的な企画の動機として示す論理、郷愁、良心の呵責にこめられた一種の現前の倫理、源への郷愁の倫理、古風で自然な無垢とそれへの直接的なアクセスの破れという、ルソー的、否定的なゲームの思想。ゲームや記号の領域からのがれ出るような真理と起源を判読しようとつとめ、また判読できると夢見て、解釈の必要なぞまるで別世界のことのように見放すもの。

②世界のゲームと生成の無垢の肯定
積極的な解釈に委ねられた、誤謬も真理も源もない記号の世界のニーチェ的な肯定。もはや起源のほうには向かおうとせず、ゲームを肯定し、人間と人間主義の彼岸に達しようと試みる、というのは、人間とは、形而上学や存在-神学の歴史を通じてつまりみずからの歴史の全体を通じて、充実した現前や安定した根底などを夢想してきたあの存在の名なのであるから。

これら二つの解釈は、はなはだ問題のある仕方で人文諸科学と呼ばれているものの領域を分有しているのである。私としては、今日いずれか一つをえらぶ必要があるとは考えない。両者に共通の土壌、非還元的な相違の示差・遅延性を考えるべきである。そこには、今日の我々にはその受胎や生成や懐胎機関や働き等を垣間見ることしかできないある問題が存在するのである。

*1:うがった見方をすれば、デリダはこの時点(1967年)において、西洋近代批判としての人類学的言説のその後の混迷をある程度予言しているとも取れる。つまり、西洋批判としての人類学は、形而上学の諸理念をその価値を批判しながらも分析の道具として保存することによって可能となった。その結果、人類学的命題がそれによって否定せんとするところのもの自体のもつ形式や論理や公準の中へと忍び込んでしまうという循環が形式化される。より具体的には、近代的諸概念を適用すると分析しきれないということを指摘するだけで論文の結論部となりうるとか、あるいは近代的諸概念の否定形として新たな概念を作ることが有意とされそれ以上の分析が明確になされないといった帰結を生じているようにも思われる(exストラザーンの「非メログラフィー」)。おそらくこの循環の形式化は、意図的選択的なものとしては可視化されにくくなっていき、いわば人類学の学的無意識として拘束力を保持し続けてきた面もあるだろう。ただし、「脱構築」など、デリダ自身の言説もまた人文科学のなかで一般化されるなかで循環の形式化に一役買ったことは否めないが。しかし、レヴィ=ストロースを批判する彼の意図が、こうした形式化を乗り越えることにあったことは確認しておきたいところである。

70年代からオチがない。


論文を書く能力がついていくということは、漫才コンビが育っていく過程に似ているような気がします。優れたボケは「みんながほんとはわかっているけれどもうまく意識化できないことをなんとなくいってしまうひと」だと感じますが、それをみんなにわかってもらうためには優れたツッコミが必要です。ボケだけでもだめ、ツッコミだけでもだめ。ボケが走ってツッコミがそれを抑制する。これは、おそらく漫才コンビとしては基本ラインであり、それだけなら二流に留まるのかもしれません。ツッコミがボケを抑制しつつ、さらなるボケの加速を可能にする。だからこそ、漫才で笑う私たちは、もっともっと先に自分たちを連れて行ってくれることを期待しながら笑いころげれるのだと思います。


かくいう自分はどうかといえば、最初は完全なボケ型だったように思います。色んなヒトがツッコミ入れてくれました。恵まれていたと思います。その中で、ツッコミに負けないボケをかまそうとしている間に、自分の頭のなかにツッコミ君が次第に育っていったように感じます。そうなると、今度は全力でボケてる先人たちの全力さがわかるようになり、彼等のボケにツッコミいれながら自分のボケを磨いていくことが少しはできるようになってきたようにも思うわけです。
 色んなタイプの漫才コンビがいるように、色んなタイプの論文の書き方があります。ボケは優れた文献からの引用にまかせて、鋭く突っ込むことに冴えをみせる(ピンでもやれるツッコミ芸人的)論文。どこまでもボケつづけているようで、読者が有意なツッコミをかます契機を各所に用意している(ピンでもやれるボケ芸人的)論文。この世界全てにツッコミ入れる(さんま的)論文。この世界全てに対してボケ続ける(これを本当にやったら芸人は事故って死にます横山やすし的)論文。と、ここまでいければもはや論文ではなく、名著あるいは奇書のたぐいになりますが。


話はいきなり飛んで、やはりポストモダンというのはモダンが強固に完成したからこそ可能であったのだろうと感じます。モダンというのも、ガリレオ君やデカルト君たちがやり始めたときにはおそらく最強に笑えるボケだったのではないでしょうか。それにツッコミ入れてる間に、ボケとツッコミをバランスさせる強固なテンプレートができあがってきた。ような気がします。というのも、通俗的な意味でポストモダンという時、真っ先に思い浮かぶのは、モダンのツッコミを裏切りつづけていれば何かを言えたことになっているはずだというボケ至上主義(一部の文芸批評や記号論)、あるいは、モダンのボケにツッコミつづけていれば何かを言えたことになっているはずだというツッコミ至上主義(一部の批判理論、抵抗論、反科学論、文化相対主義、そしてカルチュラルスタディーズ。あくまで一部のではありますが。)であるわけで。それが可能だったのは、やはりモダンというのがあまりに強固にボケとツッコミをバランスさせてしまったように見えたからではないかと。そして、今となってはもはやどちらのやり方も笑えない。それははっきりしてきたように思います*1。正直、それが分かっていない方々には全て退場していただきたいと思います。でも、それをお願いするためにはちゃんと笑える漫才をつくっていかないと。
というわけで、がんばらないといけませんね。わたしもあなたも。

*1:こうした判断を明確に提示したという一点においてだけでも、ネグリ&ハート『帝国』はやはり評価すべき本だと思います。

うーん、気になる2


ダン・スペルベル1984『人類学とは何か――その知的枠組みを問う』菅野盾樹(訳)紀伊国屋書店
(=Dan Sperber 1982 La savoir des anthropologues, 1979 La pensee est-ele pre-rationnele? )

p27

彼(クリフォード・ギアツ)は、ディルタイの解釈学的伝統と現代記号論の両方に依拠しつつ、文化事象を記述する正しい、唯一でさえある方法はまさにそれを解釈することだと論じている。なぜだろうか。その理由は、文化現象とは意味の乗り物、つまり記号、メッセージ、テキストであること――ギアツは書いている、「ある民族の文化とはテキストの総体である」と――また解釈とは記述の特殊な形態、つまり意味を持つ文化事象にあつらえむきの記述であること、これらの点にある。人類学は、それゆえ、科学にはちがいないが、特殊なタイプの科学、すなわち解釈をこととする科学なのだ。

(伏線の)本筋には関係がないが、
念のため、スペルベル本人の評価もあわせて前後の文脈をまとめておく。


「人類学は本当に科学なのか。そうであるとしても、それらは自然科学と同じような科学なのか」
この問いに対して、スペルベルは三つの代表的な回答を挙げる。


1、ラドクリフ=ブラウン
「人類学は社会に関する自然科学だ。人類学が自然科学に発達する場合の唯一の障害は、克服されるべき偏見と改められるべき因習にすぎない」

エヴァンス=プリチャード
人類学は科学ではなくむしろ人文学(ユマニテ)に属する。つまり、
「人類学は社会を自然に属する体系としてではなく精神的体系として研究する[・・・]、人類学は過程よりむしろ意図(デザイン)に関心を持つ[・・・]、それゆえ人類学は科学的法則ではなく、型(パターンズ)を探求し、説明より解釈をこととするのである。

そして、3つめが(『今日、数多くの擁護者を見出している』)ギアーツの見解である。
もちろんスペルベル自身はギアーツの見解をも退ける。

p28

しかし、文化現象を記号へ、文化を意味の体系に還元できるだろうか。『象徴表現とは何か』で私はそのような還元が許されぬことを長々と説明した。もし「意味」という語を広義に解するなら、任意のものが意味することになってしまう。たとえば、雲は雨が降りそうだということを意味する、というぐあいである。こうした意味で「意味する」ということは文化現象の特徴ではなく、それゆえ当面する問題にとって意義を欠くのである。もし「意味」をもっと精確に、たとえば言語学でそうするように定義する場合、たしかに意味現象は文化の全般にわたって見出されるが、しかしそれだけが唯一のものではない。つまり意味現象は別種の、たとえば生態学的事象や心理学的事象と織り合わされているだ。「テキスト」にそれにふさわしい特別な記述を適用するという、人類学者のイメージは確かに魅力的だ。とはいえそれは、人を誤らすイメージである。

本書については、後にあらためて検討するつもり。


もうひとつ資料を↓


太田好信 学際性とは何か
『比文創立十周年・記念文集』(2004年刊行)、92-101頁

七十年中盤、アメリカ合衆国での人文・社会科学系学問――とくに、文化人類学社会学政治学歴史学(とくに社会史)、一部の哲学、ならびに文学理論――は、大きな転換期にあった。これは、日本においても山口昌男記号論を中心した「人文系学問の再編成」を主張し始めた時期と同一である。アメリカ合衆国で、この兆候をもっとも象徴的に体現していたのが、文化人類学者クリフォード・ギアツであった。とくに七三年に発刊された『文化の解釈』(邦訳では『文化の解釈学』」となっているが)は、アメリ社会学会でソロキン賞を受賞した事実からも明らかだが、アメリカ合衆国文化人類学界よりも先に社会学界において高い評価を獲得していた。社会学の大御所タルコット・パーソンズのもとで薫陶を受けたギアツであるから、驚くに値しないことなのかもしれない。
 六十年代後半のラディカルな社会変革への機運が七十年代に残した知的遺産は、既存の学問の壁を乗り越えようという積極的意志である。社会学では、(シュッツによる)現象学理論が脚光を浴び、(ペリー・アンダーソンのいう)西洋マルクス主義――ルカーチグラムシらがその代表だった――が社会学文化人類学政治学、だけではなく文学理論にも大きな影響を与えていた。
 ギアツのこの著作は、これらの時流に合致していた。この著作には、文化人類学的資料が、哲学者(ディルタイ、ランガー、ライル、ウィトゲンシュタイン、グッドマン、ジェイムズなど)、社会学者(デュルケイム、ウェイバー、パーソンズやシルス)、精神分析家(フロイト)、文学理論家(バークなど)の仕事により再解釈された論考が満載されていたのである。
 これまでの文化人類学の書物とは異なり、学問を横断的に移動した思索が生み出した、きわめて混淆的テクストであった本書の重要性は、人文系・社会科学系の諸学を巻き込んだ具体的運動を生み出したことにある。とくに、記録に残っている事実として、サンフランシスコ近郊の三大学――カリフォルニア大学・バークリー校、サンタ・クルーズ校、そしてスタンフォード大学――でさまざまな学問領域で研鑽してきた研究者たちが、このギアツの著作にひとつの「共通言語」を見出したということは銘記する必要があろう。たとえば、その運動に参加していたひとりレナート・ロザルドの回想によれば、これまでお互いに語ることばをもっていなかった研究者同士が、自らの研究を相手にも理解してもらえるようなことばで語ろうと試みるようになったという。
 七十年代初頭、『文化の解釈』が刊行されるまで、ギアツの実践する分析は、行為のもつ意味を重要視する「象徴人類学」であるといわれていた。人間は意味により媒介された世界を生きる存在であり、その世界を内在的視点から捉えようという試みである。そのとき、意味を媒介する運び手が「象徴」である、と彼は考えていた。
 しかし、本書の刊行以降はそれに代わり、ギアツ自身も「解釈学的人類学」(interpretive anthropology)という名称を積極的に使用する。(八十年に刊行された『文化の解釈』の続編にあたる『ローカル・ノレッジ』の副題に注目してほしい。)そして、学問を超えたコミュニケーションを目指した研究者たちは、自らの運動を「解釈学的社会科学」とよび始めていた。その運動の結果を可視化したのが、七七年に刊行された(その名もズバリ)『解釈学的社会科学』という編集本である。
 アメリカ合衆国の社会科学では、五十年代以降スキナーに代表される行動主義に対抗するように、人間行為をその意味の側面から把握しようという勢力が存在した。しかし、ギアツの仕事はその対立のなかから生まれたかもしれないが、その対立の局面を再編成している。対立は学問間の対立ではなくなり、複数の学問が共通言語により団結し、共同戦線を組み、「共通の敵」(行動主義だけではなく、七十年代末の社会生物学のような還元主義、環境決定論や「俗流唯物論、自然科学を社会科学のモデルとして採用しようという実証主義、さらにはローカルな社会現象の細部を切り捨てる一般化論も含む)に対峙するのである。
 この時代に、学問の壁を越えようとする意志が「解釈学的社会科学」のもとに知的勢力として結集したこと、さらにプリンストン大学の高等研究所――その創立時にあたる七十年にはギアツが最初の教授として任命された――でも、その意志をもつ研究を「最先端」の研究として位置づけたことなどから、学際性とは学問間のコミュニケーションをはかることを目標にした、それまでにはない斬新な試みであったことになる。

長い間、敬遠してきたけどようやく読む気になってきた↓


文化の解釈学 / C.ギアーツ著 ; 吉田禎吾 [ほか] 訳
(岩波現代選書 ; 118-119)岩波書店 1987.5-1987.9
http://www.library.osaka-u.ac.jp/cgi-bin/opac/books-query?mode=1&code=22106212&key=B116899552203969