『今日のトーテミスム』1章


スペルベルの議論についての考察を開始する前に、まずはその第一の参照点となっているレヴィ=ストロースの議論を再考する必要もあるかと思い、数年前に作成した読書ノートを以下で再録しておく。


クロード・レヴィ=ストロース『今日のトーテミスム』
[1970仲沢紀雄訳 みすず書房]読書ノート


第1章 トーテム幻想28〜55


トーテミスムの名の下に集められた現象の意味場の定義*。


*以下の方法により定義する。
一、研究の対象とされた現象を、二つないしはいくつかの現実の項、あるいはそのような項となりうる可能性をもったものの間の一つの関係として定義する。
二、これらの項の間の入れ替えの可能性を表にする。
三、この表を分析の対象とする。表の次元に限られた場合、分析はいくつかの必然的な結合に達することができる。最初に問題となった経験的事象は可能ないくつかの組み合わせにすぎないが、組み合わせの全体系は事前に組み立てることができる。


トーテミスムという言葉は、自然と文化という二つの系列の間に観念的に措定された、いくつかの関係を包括する。

自然の系列は一方に範疇、他方に個体、文化の系列は集団と個人を含む。これらの項は、それぞれの系列で集団的および個別的な二種の存在様式を区別し、二つの系列の混同を避けるように選ばれるが、選択の客観的根拠はない。


文化  自然    ex   
集団 範疇 1 オーストラリア 
個人 範疇 2 北米インディアン
個人 個体 3 モタ族
集団 個体 4 ポリネシア、アフリカ


4つの組合せは論理的には等価値だが、最初の二つの組み合わせのみがトーテミスムとされ3はその萌芽、4はその名残りとされた。つまりトーテム幻想は同じ型の現象が属する意味場の歪曲に由来する。意味場のいくつかの相が他の相の犠牲において特別に扱われ本来持つべきでない独自性と奇抜さを付与されている。それらの相の一見そうみえる価値が現実をまちがって切り分けたことに由来しているのを納得するには、いくつかの実例を考察すれば十分である。


<オジプワ族>

・トーテム起源神話(p34):神=トーテムと人間の関係

第一に、この神話は人間とトーテムとの間に離接に基づく直接的関係のありえないことを主張している。ありうる唯一の関係は《おおわれた》もの、したがって隠喩的なものである。
第二に、この神話は個人的関係と集団的関係との間にもうひとつ別の対立を設定している。インディアンが死ぬのは、超自然的存在が団体行動を乱した故である。

この二重の関係のもとにトーテムとの関係と守護精霊との関係は暗黙裡に区別されている。後者は孤立した個人的探求の場(二)として与えられる直接的関係(一)を想定している。


トーテムとの関係:間接的、隠喩的
守護精霊との関係:直接的、換喩的、序列的


最後に、原住民の理論は、一つ一つ個別的に取り上げた関係を足し合わせ、それぞれ人間の一集団を一つの動物種に結びつけてトーテム組織を作り上げようという誘惑に対し警告を発する。本来の関係は、一つは諸集団の区別に基づく体系、もう一つは種の区別に基づく体系という二つの体系の間にある。一方にはいくつかの集団、他方にはいくつかの種があり、それがいきなり互いに相関および対立関係に入れられる。


・《トーテム》体系と《マニド》体系


オジブワ族については、氏族の成員がトーテム動物から生じたという信仰の記録はなく、トーテム動物は祭祀の対象にはならず、殺すことも食べることも儀礼に従えば自由だった。トーテム体系には水、大気、地の三つの区分があることが推測される。
等価値の原則に支配されるトーテム体系と異なり《精霊》ないしマニドの体系は大小と善悪の二つの軸にそって階級づけ秩序づけられている。食物上の禁制は全て個人が夢のなかで精霊から禁令を受けたものと説明される。また、守護精霊の獲得は個人的な修行の仕上げであり、この超自然的保護は服従と分別ある態度という条件下にのみ保証される。2

これら全ての差異にもかかわらず、ロングは守護精霊とトーテムの混同をおかした。


<ティコピア>

この社会はアツア3たちに対し特別な関係を享受する酋長アリキによって支配される4つの父系集団からなる。食用にする植物種のうち4つが各氏族と特別な関連をもつ。


カフィカ 「ヤムイモ」、ファンガーレ「パンの木」、トーマコ「タロいも」
:それぞれの植物種は誰もが所有、栽培、収穫し、食料とする。ただし儀礼は担当の氏族のみが行う。

タファ 「やしの木」
:特定の儀礼はなく、いくつかの禁忌に従う。


三氏族は自然種に対する関係を儀礼によって表明し、第4の氏族は禁制に依存している。したがって、これらの示唆的行為はボアズの相同性の規則に対する批判のささえとなる。


ティコピアでも人間と植物種の関係が宗教学と社会学との二重の次元に現れている。

起源神話(p44):神=人間とトーテムの関係
オジブワとの共通点:<トーテムは遠ざけられるという条件下でのみトーテムとなる>
・トーテミスムとの関係において、個人の行為は否定的、集団の行為は肯定的。
・体系として一つの総体が貧弱化したあと残余としてトーテミスムが導入される。
・充実した意味場への非連続の侵入にもかかわらず自前でこれを埋めなければならない。つまり、諸項は互いに離れていなければならず、直接の接触は制度の精神に反する。


トーテムと宗教との区別はここでもまた類似性と隣接性、隠喩と換喩によって表明される。
(P46:4種の植物は神々を《象徴する》。一方で神々は魚、なかでもうなぎ《である》。)
宗教的次元において神と動物の関係は換喩の次元に属す。アツアは動物の体内にはいるとされる。また種全体は問題にならず基準から外れ神の媒介をなす一匹の動物が問題となる。4
アツアと呼ばれるのははまた食用に供せられない動物である。また神々はいくつかの動物に化身し、神性との関係のある魚を食べることが禁じられる。食事上の禁制を包含する超自然界との関係の体系は、ある動植物種とある氏族(他)との関係と結びつきながらも独立に存続する(p49イルカの例)。しかしトーテミスムという仮説は両者を混同する方向に導く。


<ティコピアにおける動物と植物との関係>
儀礼 食事上の禁制 神との関係 刻印づけられたもの アツア
動物 ない ある 現実的。個 食べられない 現れる 宗教
植物 あり ない 象徴的。種 食べられる 現れない トーテム


<マオリ族>

ニュージーランドは一つの限界的な例であり、相互に排斥しあういくつかの範疇を純粋な状態で区別することを許す。マオリ族で動物、植物、鉱物がトーテムの役を演ずることができないのは、かれらがこれを本当の先祖と考えているからである。

自然の存在ないしは要素が相互に、また、その全体が人間に対して、先祖と子孫という関係にあるとすれば、一つ一つの自然の要素ないしは存在が独立して特定の人間集団に足して先祖の役を果たすことはできなくなる。ポリネシアの思考は人類一元論であり多元論を要請するトーテミスムとはおりあわない。

トーテミスムは先祖の動物から子孫の人間への移り行きの各段階を説明するすべをもたない。トーテミスム的発生は自然発生ではなく、隠喩的関係にあり、その分析は《民族・生物学》よりむしろ《民族・論理学》に属する。複数の人間集団が複数の動物種の《後裔》であると宣言することは、集団間の関係を種の間の関係に類似したものとして措定するための具体的かつ省略的方法にすぎない。

マオリ民族誌は発生と体系という二つの観念の混同を解明するのに役立つだけでなく、トーテムとマナという観念、タブーという観念の混同を取り除くことにも役立つ。

・テュプ:事物及び存在の内側から生じる。
・マナ:事物および存在の外側からおとづれ、無区別及び混合の原理を構成。

・タブー(タプ):親族集団内において最高位に位置する生命に対する深い畏敬。