ブログ移転

長く休止状態でしたが、今回新しくブログを作り、そちらで続きをやることにしました。 アドレスは下記↓ http://kuboakinori.typepad.jp/doctors_left_eye/新しいブログはよりオフィシャルな色彩の強いものになる予定です。 本ブログは、アーカイブとして主に…

Alfred Gell『Art and Agecy』読解7(発展的論考)

これまでの『Art and Agecy』読解をもとにして総括的に文章を書き、研究会で発表を行いましたので、リンクを貼っておきます。1〜6まではほぼ読書ノートですが、この文章はGellの議論をどのように理解し発展させることができるかという点から、特にパース由来…

世界に対して文句があるんなら子供なんて作るな

再び村上春樹。前とは違う側面から若干の考察。 [羊をめぐる冒険(上)P253] (友人と二人で経営していた小さな翻訳会社をやめ、 冒険を開始しようとする「僕」と、 彼を会社に留めたいアル中気味の友人との電話での会話) ・・・ 「僕は君とは違うんだ」…

最も私的なものは最も普遍的なものでもあるということについて

ここ1週間ばかり、 漠然とした必要に駆られて村上春樹を再読している。 毎日寝る前に2時間ほど、デビュー作から順番に。 村上の小説、特にその初期において顕著な特徴に、 登場する人物の多くが固有名をもたないことがある。 例えば「高校時代レコードを借り…

認知言語学の勉強会をはじめます

タイトル通り、 認知言語学に関する文献を読む勉強会を始めることにしました。 関西圏在住で参加したいという方がもしいらっしゃいましたら、 下記のアドレスにメールを下さい([at]は@に変換して下さい)。 qvoak[at]kd6.so-net.ne.jp 現在決まっている参…

メモ(構成的規則とタブー)

浜本の議論とサールの議論の違いは↓ サール:「YするにはXせねばならない」→「Xすることをもって、Yすることとする」 浜本:「Xしてはならない」→「XすることはYすることである」 以前のエントリーからの抜粋。 浜本はサールの構成的規則論を援用しつつ、分…

微々たる思いつき

きょう、電車に乗って→梅田→心斎橋まで出た。 考えてみれば随分とひさしぶりだ。 駅で横断歩道で、色んな人が通り過ぎた*1。 皆どこかしら張り詰めているように見える。 緊張か、期待か、それとも、期待が裏切られることへの不安か。 そんなことを考えている…

Alfred Gell『Art and Agecy』読解6

Chap7 The Distributed Person *発表の出来はよくなかった。特に後半部は全体を把握仕切れておらず、議論の土台を作れなかった。反省。やはり完徹空けに3時間喋り続けるのは無理があったようだ。とはいえ、本書終盤の迫力はかなり異様だ。特に以下で要約し…

Alfred Gell『Art and Agecy』読解5

Chap6 The Critique of the Index *金曜日までに全章をアップするつもりでしたが、残念ながらこれで最後になりそうです。来週あたまにでも残りをアップします。個人的には今までで一番面白い章でした。おそらくゼミ発表時には大幅に削ることにはなると思い…

Gell『Art and Agency』読解4

4章 The Involution of the Index in the Art Nexus (1)エージェント/ペーシェント関係の階層的埋込み ここまでアート・オブジェクトをめぐる基本的な諸関係を検討してきたが、本章では二つ以上の項をふくむより複雑な関係式を考察する。その基本となるの…

Alfred Gell『Art and Agecy』読解3

3章 アート・ネクサスとインデックス [要約] アート・オブジェクトをめぐる四つの項<インデックス、アーティスト、レシピアント、プロトタイプ>は、エージェントおよびペーシェントとして他の項あるいは自らと関係する。4項のいずれかが能動的な行為者(…

Alfred Gell『Art and Agecy』読解2

2章 アート・ネクサスの理論 [要約] アートの人類学理論において、純粋な「アート・オブジェクト」なるカテゴリーを想定することはできない。人類学的見地からすれば、いかなるものもアート・オブジェクトになりうるからだ。問題は、社会関係を通じてヒトが…

Alfred Gell『Art and Agecy』読解1

今日から約一週間、米国の人類学者アルフレッド・ジェルの遺作となった本書『アートとエージェンシー』について要約+検討することにしました。大学院ゼミで一冊丸々レジュメをつくらなければならなくなったのが主な動機ですが、レジュメには収まりきらない背…

そろそろ再開+文献紹介

現在ブログ再開計画の思案中ですが、伏線はりも兼ねて若干の書き込み。 以下は今期の院ゼミで読んでいる文献。半期をこのラインナップで進める人類学ゼミって日本で他にあるんだろうか*1。 The Gender of the Gift (Studies in Melanesian Anthropology)作者…

「マルセル・モースの業績解題」

クロード・レヴィ・ストロース 「マルセル・モースの業績解題(『社会学と人類学』への序文)」読書ノート*「マナ型の観念」と「浮遊するシニフィアン」に関連する箇所の抜粋 P240 マナといった型の諸概念は、あまりに頻繁にみとめられ、かつ広く分布している…

『親族の基本構造』1章

レヴィ=ストロース『親族の基本構造』読書ノート 福井和美訳 2000 青弓社 序章 第一章「自然と文化」 自然状態と社会状態の区別にかかわる原理ほど確信をもって退けられてきたものはない。しかしこの区別にはもっと価値ある解釈を受け入れる余地がある。 エ…

竜を殺しにいかなかった男

面白そうな記事を見つけたのでクリップしておきます。 スペルベルについては、いずれ集中的に検討するつもり。 “AN EPIDEMIOLOGY OF REPRESENTATIONS A Talk with Dan Sperber”

『野生の思考』7章

クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』読書ノート 7章 種としての個体 固有名と分類体系►厳密な意味で固有名と認められる名前と、一見そうではない名前の関係はいかなるものか。Exペナン族の人名体系£三種類の名個人名(固有名) 親名:誰々の父(母) …

『野生の思考』6章

クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』読書ノート 第6章 普遍化と特殊化 歴史と体系の間に►歴史と体系の間には二律背反性が見出されると信じる人もいるが、いままで検討してきた例には、そのような二律背反は見出し得ない。両者の間には、移行相を形…

『野生の思考』5章

レヴィ=ストロース 1976『野生の思考』読書ノート 第5章 範疇、元素、種、数 トーテミズムという名のもとにでたらめに一まとめにされたさまざまな信仰や慣習は、一つもしくはいくつかの社会集団と、一つもしくはいくつかの自然領域の間に実体的関係があると…

『今日のトーテミスム』5章

クロード・レヴィ=ストロース『今日のトーテミスム』[1970仲沢紀雄訳 みすず書房] 第5章 心の中のトーテミスム ラドクリフ=ブラウンの先駆者ベルクソンとルソー <ベルクソン> 1958『道徳と宗教のニ源泉』のなかにみられるラドクリフ=ブラウンとの類似…

『今日のトーテミスム』3章

クロード・レヴィ=ストロース 『今日のトーテミスム』読書ノート [1970仲沢紀雄訳 みすず書房] 三章 機能主義的ト―テミスム <マリノフスキーの総合> エルキンは、一方でラドクリフ・ブラウンの教訓から先人達よりも緻密な分析を行い、他方ではマリノフ…

『今日のトーテミスム』1章

スペルベルの議論についての考察を開始する前に、まずはその第一の参照点となっているレヴィ=ストロースの議論を再考する必要もあるかと思い、数年前に作成した読書ノートを以下で再録しておく。 クロード・レヴィ=ストロース『今日のトーテミスム』 [197…

うーん、気になる4

三島憲一 1980 「現象学と哲学的解釈学」読書ノート2(後半) (『講座・現象学③ 現象学と現代思想』 pp. 63-266 弘文堂。) <注>この文章は、哲学的人間学、社会思想史、フランス現代思想、文化人類学等を専攻する院生が参加する勉強会のために作成した…

うーん、気になる3

三島憲一 1980 「現象学と哲学的解釈学」読書ノート1 (『講座・現象学③ 現象学と現代思想』 pp. 63-266 弘文堂。) *以下フッサールからの引用文には(hus)、ディルタイからの引用文には(dil)と表記。 現象学と解釈学は、その由来からみてもあり方から…

デリダの穴

下記の論文については、いずれ詳細に検討する必要があると思われるが、 まずはレジュメをアップしておく。 J・デリダ(1967)1983「人文科学の言語表現における構造と記号とゲーム」)(『エクリチュールと差異』第10章。野村秀雄訳 法政大学出版局) ➠>とでも…

70年代からオチがない。

論文を書く能力がついていくということは、漫才コンビが育っていく過程に似ているような気がします。優れたボケは「みんながほんとはわかっているけれどもうまく意識化できないことをなんとなくいってしまうひと」だと感じますが、それをみんなにわかっても…

うーん、気になる2

ダン・スペルベル1984『人類学とは何か――その知的枠組みを問う』菅野盾樹(訳)紀伊国屋書店 (=Dan Sperber 1982 La savoir des anthropologues, 1979 La pensee est-ele pre-rationnele? )p27 彼(クリフォード・ギアツ)は、ディルタイの解釈学的伝統と…

「相対主義の代価」再検討

浜本満 1985「文化相対主義の代価」。『理想』No627:105-121. 理想社。 以前書いたエントリーで部分的に考察した本論文について改めて検討してみる。 本稿で浜本は、おおざっぱにいって次のように議論を進める。 1文化相対主義あるいは認識相対主義と呼ば…

うーん、気になる

ようやく本業の方がひと息つきました。再開第一歩は伏線はりから Wilhelm Maximilian Wundt (* 16. August 1832 in Neckarau (heute zu Mannheim); † 31. August 1920 in Großbothen bei Leipzig) war Physiologe, Philosoph (v.a. Logik und Erkenntnistheo…