うーん、気になる3


三島憲一 1980 「現象学と哲学的解釈学」読書ノート1
(『講座・現象学③ 現象学現代思想』 pp. 63-266 弘文堂。)


*以下フッサールからの引用文には(hus)、ディルタイからの引用文には(dil)と表記。


現象学と解釈学は、その由来からみてもあり方からみてもきわめて異質な動きである。

前者は、実践に対する理論の優位を前提とする。
つまり、世界内在的な精神的・心理的諸体験を還元によって<括弧に入れ>それら全てを、世界の一部ではないはずの超越論的自我の構成作業による思念と見て、その構成のあり方を解き明かそうとする。

後者は、理論に対する実践の優位を前提とする。
つまり文献その他の精神的形成物という世界内在的な具体的<資料>を対象にした解釈技術から出発している以上、いっさいの精神的産物の時間内的相対性を当然の前提とする。同時に、それらの資料の解釈についても、その学的客観性よりも、解釈行為が解釈者の生の遂行、つまり実践の様態であることに力点が置かれる。

本稿では、解釈学の哲学化を試みたディルタイ現象学的に理解された理論の絶対的優位を信じたフッサールにおいて、①この両極的対立のさまを浮き彫りにする(1,2節)、②と同時に、深層にみられる両者の親近性を指摘し(3,4節)、③にもかかわらず二人を分断する深淵を指し示す(5節)。


フッサールと歴史解釈


問題の特定:
普遍的な理性原理にもとづいて打ち立てられたはずの近代的な学の理念の失墜。その元凶は、近代的合理主義がいっさいの認識批判にもかかわらず内在させていた素朴な自己限定にある。例えば、デカルトは、<デカルト的判断中止>によりいっさいの存在妥当を差し控えるが、判断中止を行うこの<わたし>自身は中止の対象に含まれない。結果、心的なものが<わたし>として世界の外で世界構成的に働くはずの超越論的自我と切り離され、世界内の存在でしかなくなり、その即自態を研究すると称する心理学の登場を許すことになった。したがって、フッサールによれば、いわゆる精神科学とその解釈学における<解釈>の怪しさは、心的領域の学的基礎付けを行うべき超越論的自我の確立における不徹底さに起因する。この自我の相関物として範疇的に形成された対象(自然、社会、文化)としてはじめて学がみずからに対して透明になりうるのに、この自我が曖昧なために、諸学は技術に堕落し哲学は拘束性を喪失する。つまり近代においては「環境世界的自然を精神には縁のない自然と見なし、そしてその結果、自然科学によって精神科学を基礎付けて、いわゆる精密化しようとするのだが、それは不合理である」(hus)。フッサールにとって、その不合理性を集約的に露呈するものこそ、十九世紀後半からの精神科学(あるいはそこにおける歴史の解釈技術、歴史主義的相対主義)に他ならない。


解決策の提示:
フッサールが依拠する諸学再建の原理は、精神科学に対抗した彼なりの歴史解釈の原理、「近代の哲学史の全体を統一する最も深奥な意味」を見出す解釈の原理である。しかも、その原理を与えるのは、真の哲学のあり方とその真性な歴史的伝統を置いてほかにない。というのも、「哲学すなわち学問とは人間性そのものに<生得的>で普遍的な理性が開示されてくる歴史的運動」に他ならないからである。ここに、二つの課題が設定される。
①理性の自己解明への道を歩み始めたギリシアの創建へと立ち帰り、それを問うことにより、歴史の中に潜んでいる<目的論的構造>を顕勢化し、究極的建設を行うこと。
②理性に導かれたこうした自己省察の決断に基づき哲学史の目的論的解釈を遂行すること。


循環:
第一の課題と第二の課題のあいだには、相互補完的な循環関係が働いている。哲学史に潜む理性の目的論を見出す解釈学(②)抜きには、創建への洞察も、それに応えた究極的建設(①)もありえないし、逆に後者の究極的開明が確立(①)しなければ、歴史における理性原理の目的論的内在というテーゼに至る解釈(②)も不可能である。つまり、「(創建の)端緒を理解するには、与えられた学の今日の形態から、その発展へと遡らねばならない。しかし、端緒を理解することなしには、この発展は意味の発展としては何も語ってくれない」(hus)のである。三島は、この結論と前提のどちらが分からないという関係性がまさに解釈学的循環を思わせるものであると指摘する。


循環の乗り越え:
「いかなる歴史的な哲学者も、自分なりの自己省察を行っている」し、「自分自身の研究についての自己理解を作り上げてもいる」、しかしながらこのような「自己解釈」についての歴史的研究からは、何一つ学び知ることはできない(hus)。個々の哲学者や哲学の理解は、彼らの言説の奥底に潜んではいても、彼等自身の意識にも上らず、主題化されなかったが、じつは哲学史のたえざる主題であった問題に照らしあわせてのみ、可能になる。つまり、「過去の思想家が自分では決して理解することができなかったほどに彼等を理解する」ことが解釈の原理とされる。だが、フッサールが精神科学に対抗して打ち出すこの解釈原理、「本人以上に本人を理解する」とは、まさに彼が批判する当の解釈学の原理に他ならない、と三島は指摘する。


ディルタイの解釈学――人間学的相対性への傾斜


問題の特定:
ドイツにおける精神科学は、ドイツ観念論の遺産と十九世紀の歴史学派の実証的思考の上に成立したものである。
18世紀なかば、啓蒙思想に対抗して、自分たちの言語・文化・歴史の特殊性の再確認として国民文化の自覚が生まれる(→ドイツ古典主義)。国民と文化の特殊性への意識は、別の特殊性としての他者への強い関心を引き起こした(→インド研究によって東洋にまで達したロマン派)。「国民性の評価のうちに、歴史学の今ひとつの大きな契機が潜んでいる。この認識はまず、ロマン派における諸民族の文化の研究から発したのである」(dil)。さらに、個別的特殊なものの一般的理解の可能性が問われるなかで、弁証法的思考の土俵が開かれてくる。個性に焦点を絞った歴史意識と、啓蒙的理性の完成への夢を結合したのが、自由の意識における進歩を説いたヘーゲルの歴史哲学であった(→歴史の理性化と理性の歴史化、そして「教養」概念の成立)。
精神科学の成立の今ひとつの大きな契機は実証主義的思考の定着にあった。十九世紀、非歴史的な産業社会の成立が、もはや生きていないものとしての歴史の実証的対象化をもたらした。それは同時に、市民社会的な文化意識の抽象的普遍性が具体的特殊的歴史を押しのけ始めた時期である。こうして、歴史から市民的な実証主義的主体が自律し無縁になればなるほど、歴史が実証的学の対象として浮かび上がってきたのである。
 ディルタイは、ドイツ観念論に由来する歴史の全体化を視座に据えた歴史感覚を受けつぎつつも、歴史と教養の新たな関係の構築を試みる。しかも、その試みを彼は、脱歴史現象をもたらした当の実定的学問(精神科学、歴史解釈学)の土俵の上で行おうとしたのである。


解決策の提示:
ディルタイは、実証的学問の精密さの要求と観念論やロマン派の伝統への依拠を同時に満たすために、(自然科学的な<説明>と対置させる形で)心的事象の究明としての<理解>を中心概念に据える。この心的事象の主体とは生であり、生こそが<理解>の対象となる。生は、通常考えられるような盲目的なものでは決してない。むしろ生には、行為の自覚とでもいうべき独自の自己還帰的反省能力が伴っている。これは純化された明確な概念的反省以前のものであり、しかしながらいわゆる無意識の盲目の領域にあるものでもない。つまり、生の遂行は生が自らを経験することに他ならない。この生の自己反省は、外界への客観化として<表現>される。この表現されたものが<客観精神>と呼ばれる。それは言語、行為、社会制度等によって展開され、感覚的に経験可能な歴史的遺産として定着する。したがって<理解>とは、実証主義的な資料分析による<客観精神>の解釈を通じて、それを生み出した生の自己経験のありようへと迫ることに他ならない。さらに、自己経験への遡及は、それ自身がまた、解釈者の自己経験となる。こうして具体的な実証性と観念論的な生の律動がともに保持される。
 ディルタイにとって、解釈とは、表現となった生の自己経験の理解として起きる、生の新たな自己経験である。歴史とは人間の自己経験の歴史であり、精神科学が生の自己経験を新たに経験することによって生を明確化する試みである以上、精神科学そのものの根拠づけはすでに歴史によってなされていることになる。歴史そのものが目的論的に学を根拠づけている、それゆえに「著者本人よりもよく理解すること」が可能となる。
*この構想がフッサールの理性の目的論と構造的に類似していると、三島は指摘する。


循環:
問題は、実定的に定義された客観精神と、ドイツ観念論を思わせる歴史目的論的理解のあいだにある不整合である(*いかにして具体的な資料の分析が、歴史そのもののもつ目的を理解することになりうるのか)。客観精神とはディルタイヘーゲルから借りた概念であるが、決定的な変更が加えられている。ヘーゲルにおいては、自己自身を他在へと外化した精神が法、人倫、国家という客観精神の形姿をへて、再び自己自身へと立ち返るときに絶対精神へとステップアップするが、この運動はディルタイにおいて消失し、哲学も含むすべてが客観精神へと平板化され、それが、絶対精神の位置を簒奪した解釈者の歴史的理性によって理解される。そして、この理解のプロセスは解釈学的循環として記述される。つまり、個々の部分(ex:文献の一語)を解釈するにあたっては全体のコンテクストを参照する必要があるが、同時に、全体を理解するためには部分を理解しなければならない。さらには、部分と全体とは常に流動的である。文は語に対しては全体でもあり、作品に対しては部分である。さらに、作品も同時代の全作品の一部であり、それらもまた歴史の全体を知らずには理解しえない。こうして、解釈の作業は絶望的に膨大なものとなる。


循環の乗り越え:
この問題を解決するためにディルタイは、ロマン派解釈学の基本的前提に依拠する。つまり、いかなる部分のうちにも全体がたえず顕現しているという汎神論的な考え方(シュライエルマッハによって定式化される)である。だが個々の契機に宿る全体性が言われるこここには全体概念のすり替えが潜んでいる。この時、全体とは歴史の客観的な、いわば量的な全体ではもはやない。むしろ客観精神を生む母胎である生の宿す組み付くしえぬ創造性、生命性こそが理解の達するべき全体を意味していくる。理解とは、表現をその背後の「心的生命性へと遡及的に翻訳することである」(dil)ということになる。ここにはもはや<循環>はなく、あるのは<遡及>である。それは、<客観精神>から、それ以前の<主観精神>への遡及である。ディルタイは、歴史の一回的な所産の特殊性を学的知にもたらそうとしたが、彼が到達したのはそれと似ても似つかない、生の絶えざる創造性という無規定な一般性であった。こうした主観精神への立ち戻りは、真の歴史性の意識よりも、人間精神の所産にまんべんなく当り、それの持つ客観的意味よりも、産み出した生の律動性に内面的に耳を傾けるという、まさにフッサールの批判する歴史的相対主義に埋没する傾きをもつ。それは、すべてを客観的精神の産出者としての人間の共通性に解消する人間学の誕生である。実証主義と観念論の両者を受け継ごうとしたディルタイの精神科学は、その自己矛盾のゆえに客観精神をも放棄して主観精神へ退行するという意味での人間学化という歴史離れを起こしているのである。