0.サルはサルまわしになれるのか


カント『純粋理性批判』の後に民族誌を読むと絶望的な気分になる。前者の論理的厳密さに比べて後者の分析基盤があまりにも脆弱だから。ではなぜ前者(近代哲学とその末裔としての科学的明証性)に依拠しないのか。その厳密さのためにあまりにも多くの重要なものを把握できないと感じられるから。では後者にそれが把握できるのか。残念ながらそれらをなんらかの不透明な描写に置き換えることに多くの人類学者が満足しているように思える。だが、現在の自分の蓄積では両者の中間でふらつくのがせいぜい、帯に短し襷に長し、というわけで困ってしまう。同時に、哲学者としての基盤を捨てずに人類学を理論化しようとしたレヴィ=ストロースの試みがいかに困難なものであったか、なぜ強がりでしかない形式化と時代状況への無批判な依存が時折まじることを避けられなかったか、理解できるような気もする。
 結局、ジャンル内言語とその使用法を覚えれば内部では評価される、が外部(特に様々な日常的な場)でも評価されるかどうかはジャンルの力に依存する、それがあてにできない現状ではジャンル自体を作り変えなければならない、が現時点でそんな力は自分にない。とはいうものの、こんな感じで感情を吐き出すのはあまり良いことではない、大概にしておこう。民族誌がジャンル閉塞的な同人誌にすぎないにしても、同人誌が同人誌を時折越えてきたように人類学で人類学を越えることもできないことではないとは思うので。


というわけで、今日読んだ民族誌二本。


富川は1923年生まれのアフリカ研究のパイオニアの一人(97年に死去)、浜本は1952年生まれ(この論文は著書『秩序の方法』の中核部のダイジェスト)という世代差はもちろんあるのだろうが、両者のよってたつ前提の違いが印象深い。富川の論文はもともとエッセイとして書かれたもののようであり、他の章は未読なので確かなことは言えないが、もしこういった記述が民族誌と認められてきたならば、愕然とする。なるほど昔の民族誌は「文化」というオヤクソク付きの旅行記だったのか、と言うのはいいすぎだろうか。旅行記で何が悪いと言われればとりあえず次のように答えることはできる。記述対象と記述の関係(=分析の根拠)が明示されておらず両者がべったりとくっついている、そのため読者が対象の把握を再構成できないので、作者にとって対象がどう見えるのか以外のことが全くわからない。簡単に言えばメタ情報がない。旅行記が作者の印象の内部で読者と異郷をつなげる作業だとするならば、富川の民族誌(エッセイ?)は良質の旅行記に留まる(もちろんその意味での感銘は受けるけれども)。


 一方、浜本論文は、民族誌的記述と記述の方法論の理論的検討を同時並行で行う点で、フェアに感じる。両者を比較すると、人類学批判の意義というのも確かにあったのかもしれないなと思う。ただし、やるならもっと徹底的にやるべきではないか。比喩を活用した論理展開に時折飛躍と曖昧さが見えるし、規約性=恣意性=無根拠性の等式は完全な相対主義を帰結すると見られても仕方のないところがある。象徴論批判にはほぼ同意するが、ソシュールの恣意性の原理に依拠している点についてはできるかぎり精確な批判を試みる必要がある。まずは、『秩序の方法』も踏まえて論旨を把握していくことにする→続く。