浜本儀礼論についての考察

メモ(構成的規則とタブー)

浜本の議論とサールの議論の違いは↓ サール:「YするにはXせねばならない」→「Xすることをもって、Yすることとする」 浜本:「Xしてはならない」→「XすることはYすることである」 以前のエントリーからの抜粋。 浜本はサールの構成的規則論を援用しつつ、分…

 11.解答篇2(工事中)

構成的規則における過剰について * このエントリーでは、解答篇1で書ききれなかったポイントを指摘したい。浜本満『秩序の方法』には、まだまだ多くの検討すべき考察が散見される。解答篇1で取り上げたのは一つの側面にすぎない。今後も自分の研究にとっ…

 10.解答篇1

このブログでは、浜本満氏の儀礼論についての考察をいくつか書いてきました。今までは、基本的には読書ノートという形をとり、浜本氏の立論過程の検討と問題点をしぼる作業に限定してきたところがあります。とはいえ、中途半端に批判しっぱなしで放置するの…

 9.恣意性を廃棄せよ

前節では、浜本の議論が「恣意性」という結論をどこかで前提にしていることが問題なのではないかと指摘した。しかし、その指摘は印象論に留まっている。ここでは、「恣意性」という結論の問題点を、異なる視点から明らかにする。 浜本の議論は、次のような対…

 8.補論

浜本儀礼論についての考察4の特定箇所を削除し記述を書き換えた。 ここではその理由について説明しながら、浜本の構成的規則論を検討していきたい。浜本の記述を読みかえしたところ、構成的規則の特徴として「規制なしには規制される行為そのものが存在しな…

 7.「一と多」ではなく

主張Bの検討に入る前に、<自然の法則>と<人為的規則>の区別の不当性を指摘する浜本の議論が、なぜ文化概念を再構築する上で有用と考えられるかを説明しておきたい。それは、簡潔に言って、相対主義的文化観が、一つの(=適用範囲が限定されない)自然法則…

 6.「呪術的」知識の様相

ここからは、浜本の議論の妥当性と可能性について検討していく。浜本の立論は非常に周到に組み立てられたものであり、一概に是非を結論するのは難しい。ここでは、いくつかの論点を提示しながら、ひとつの方向へとまとめ上げていくことを目論む。 まずは、浜…

 5. 水甕を動かす→妻を引き抜く:有縁性による動機づけ

第二の問いに移ろう。なぜ「水甕を動かすこと」が「妻を引き抜くこと」になるのか。 象徴論的解決では答えは単純であった。水甕は妻の象徴であるから、というのがその答えである。この主張を支えているのは、水甕と呼ばれるのが土器の壷であり、土器の壷と女…

 4.「妻を引き抜く」:構成的規則の無根拠性

「妻を引き抜く」ことと「時間を使う」ことには違いがある。後者が不正確であるにしても別のより字義的な表現で説明しなおすことが可能であるのに対して、後者ではそれは困難であるということだ。この困難を生み出している機制こそが、<水甕を動かす→妻を引…

 3. 妻を引き抜く→妻が死ぬ:構造的な隠喩における論理的帰結

「妻を引き抜く」と「妻が死ぬ」のは、隠喩的な論理における必然的な帰結である。「妻を引き抜く」と記述される出来事は屋敷と妻をめぐる以下のような体系的な語り口のなかに位置づけられている限りにおいてのみ意味をなす。 1妻は屋敷に据え付けられた存在…

 2.それはデッドエンドではなくスタートポイントの一つでしかない

http://members.jcom.home.ne.jp/mi-hamamoto/research/published/pottaboo3.html *浜本満『秩序の方法』第4章にほぼ対応 本論文で浜本は、人類学的研究が現地人の奇妙な風習を理解する上で使用してきた語彙の一つ「呪術」を標的にして、「呪術的」とされる…

 1.民族はロボットでもマシーンでもない

浜本満「妻を引き抜く方法-儀礼をめぐる問題系の配置の論旨要約に入る前に、この簡潔な論文と骨子を同じくする以下の著作から浜本の議論の前提をみていきたい。 秩序の方法―ケニア海岸地方の日常生活における儀礼的実践と語り 浜本は自分の研究は一般的には…

 0.サルはサルまわしになれるのか

カント『純粋理性批判』の後に民族誌を読むと絶望的な気分になる。前者の論理的厳密さに比べて後者の分析基盤があまりにも脆弱だから。ではなぜ前者(近代哲学とその末裔としての科学的明証性)に依拠しないのか。その厳密さのためにあまりにも多くの重要なも…