Alfred Gell『Art and Agecy』読解3


3章 アート・ネクサスとインデックス


[要約]


アート・オブジェクトをめぐる四つの項<インデックス、アーティスト、レシピアント、プロトタイプ>は、エージェントおよびペーシェントとして他の項あるいは自らと関係する。4項のいずれかが能動的な行為者(エージェント)となり、いずれかが受動的な被行為者(ペーシェント)となる状況を本書では以下のように表記する。


X(A)→Y(P) 
= X(エージェント)はY(ペーシェント)との関係においてエージェンシーを発揮する。
(Ex アーティスト(A)→レシピアント(P)
= アーティストが、レシピアントとの関係においてエージェンシーを発揮する。)


XとYには4項のどれを代入してもかまわない。したがって、アート・オブジェクトをめぐる社会的な関係の場(=「アート・ネクサス」)は、全部で16個の式からなる図表(P29)によって表される。なかでも、インデックスがAないしPの位置にくる式を中心的に検討する必要がある。というのも、インデックスがなければいかなるエージェントのアブダクションも起こりえないからだ。本章では、インデックスがエージェントとなる場合とペーシェントとなる場合が順に検討された後、一次的/二次的エージェント概念の精緻化が試みられ、最後にアート・ネクサス中の残りの関係式が検討される。


(1)インデックスがエージェントとなる場合
次の3つの式に対応する


インデックス(A)→アーティスト(P)
:彫刻が、素材(石や木)の内部にある何らかの姿形を「開放」する行為とされるように、多くの場合アーティストの役割はインデックスを作ることでなく単にその存在を「認める」ことにある。こうした両者の関係は、しばしば、インデックスがあるべき自らの姿をアーティストに命じて製作/書き写させているという形で把握される。
Ex.アンティル諸島では、ある種の樹木は自らを特定の像の形にするよう妖術師に指図すると信じられている(Tylor 1875『Primitive Culture』より)。
Ex.西洋美術における「素材に忠実であれ‘truth to materials’」という教えによれば、アーティストは、自らが望むものではなく素材が望むものを作らなければならない。


インデックス(A)→レシピアント(P)
:受動的な観客(鑑賞者)のあり方に対応する式。例えば、Asmatの盾(P1左)を装備した兵士と相対する敵兵は、その盾のデザインに刻印された恐怖の感覚を内面化することによって自らが恐怖を抱いていると感じるようになる。ベンヤミンが論じたように、知覚することは模倣(内面化)することであり、我々は自らが知覚したものに「なる」のである。このように、インデックスは何らかの形でレシピアントの冷静な自意識(sence of self-possesion)を覆すことによって彼らに影響を与える。


インデックス(A)→プロトタイプ(P)
:インデックスが、自らが表象するもの(=プロトタイプ)に対してエージェントとして振舞う場合。本書でジェルはこの関係を“Volt Sorcery”と呼ぶ。それはインデックスを傷つけることによってプロトタイプに害をなそうとする行い一般を指す。典型的な例は、ある人物の肖像に傷をつけるとその人が傷を負うというタイプの妖術(Sorcery)。ただし、必ずしも神秘的な所業である必要はない。
Exサッチャーのポスター写真にイタズラ描き。
→反サッチャーの機運を高め、彼女(の名声や支持基盤)に害をなすことができる。
Ex 日の丸を燃やす
反日感情を高め、実際に政治的および外交的な効果が生じる。


(2)インデックスがペーシェントとなる場合
次の3つの式に対応する


アーティスト(A)→インデックス(P)
:作家の意思や行為が純粋に作品に刻印されているとみなされる場合。ルネッサンス以降の西洋美術観の根幹をなす図式(Ex.ジャクソン・ポラックのドリップ・ペインティング)。


レシピエント(A)→インデックス(P)
:アーティストを金銭的に支援する「パトロン」や、ギャラリーに足を運ぶことによってアート・シーンを支える「能動的参与者としての観客」の有様に対応する式。インデックスから彼らのエージェンシーがアブダクティブに導出される限りこの式が成立する。


プロトタイプ(A)→インデックス(P)
:インデックスが、アブダクティブな推論を通じてプロトタイプのエージェンシーを導出する場合。「写実的な表現(realistic representation)」という考えの根幹をなす図式。
Exゴヤ肖像画ウェリントン公爵」の見た目を第一に規定しているのは、この絵のプロトタイプであるウェリントン公爵である。


(3)一次的/二次的エージェント(ペーシェント)の論理
総じてアーティストとレシピアントは一次的エージェント(ペーシェント)であり、インデックスは二次的エージェント(ペーシェント)である。プロトタイプは通常一次的なエージェントではない(ex、静物画に描かれたりんごは自らの意思で描かれ方を規定しはしない)。ただし、プロトタイプが自らの現われ方を意図する力をもっている場合(王や魔術師や聖なる存在など)、それらは一次的エージェントとなりうる。


アート・ネクサスの中心は常にインデックスであるが、それは決して一次的エージェント(ペーシェント)にはならない。意図をもった存在としての一次的エージェント(ペーシェント)が物理的な因果連鎖の場の外にあるのに対して、インデックスは因果連鎖の場のなかで組織化される。それは事物が因果的に連関する場を撹乱するものであり、一次的なエージェンシー(ないしペーシェント性)を可視化し増幅するものである。逆に言えば、一次的なエージェトとペーシェントは、因果連鎖の場に客体化(objectify)された二次的なエージェンシーつまりインデックスを介してのみ、互いに関係することができるのである。


(4)その他の関係式
前述したようにアート・ネクサスの中心はインデックスが含まれる式(①〜⑦)である。その他の式は、表面的には一次的エージェントと一次的ペーシェントの関係を表すが、実際には間に二次的エージェント(ペーシェント)としてのインデックスが介在して以下のような関係式になっている。


一次的エージェント→(二次的ペーシェント→二次的エージェント)→一次的ペーシェント


したがって、例えば式アーティスト(A)→レシピアント(P)は、アーティスト(A)→インデックス(P)と、インデックス(A)→レシピアント(P)の合成(式④+②)によって生まれる。


ここでインデックスを除く3項のうちの二項が構成する式を全て挙げると


1 アーティスト(A)→プロトタイプ(P)=式④+式②
:アーティストによって想像上のイメージが作られることに対応する式
2プロトタイプ(A)→アーティスト(P)=式⑥+式①
 :「写実主義」的にイメージが作られるときの式
3アーティスト(A)→レシピアント(P)=式④+式②
 :アーティストが作品を通じて観客に様々な感情を喚起せしめることに対応する式
4レシピアント(A)→アーティスト(A)=式⑤+式①
 :レシピアントがパトロンとなり、職人としてのアーティストに製作を命じるときの式。
5プロトタイプ(A)→レシピアント(P)=式⑥+式②
 :「偶像崇拝」に対応する式
6レシピアント(A)→プロトタイプ(P)==式⑤+式③
 :「volt sorcery」に対応する式 
=インデックスを傷つけることによってプロトタイプに害をなそうとすること。


このうち例えば、5プロトタイプ(A)→レシピアント(P)は以下のように書き換えられる。


プロトタイプ(A)→インデックス(P)    =式⑥
インデックス(A)→レシピアント(P) =式②


上記の式は、式⑥と式②を合成することで「偶像崇拝」に対応する式が生まれることを示している。つまり、「偶像崇拝」とは、インデックスが表象するもの(プロトタイプ)がインデックスの物理的な有様を規定する(式⑥)と同時に、そうして作られたインデックスがレシピアントの冷静な自意識を覆す(式②)ような状況なのである。


最後に、4つの項がそれぞれに対して再帰的に関係する場合に対応する4つの式が検討される。


インデックス(A)→インデックス(P)

例えばニューギニアのAbelamの祭礼で展示される大きく育ったヤムイモは、崇拝の対象であると同時にアート・オブジェトでもあるが、そこで際立たされるのは自ら成長するヤムイモの力である。ヤムイモは自らに対してエージェントとして振舞う。ここには特に不明瞭なことはない。全ての生物は、自らを育て形成するものであり、自分自身に対してエージェンシーを発揮するものであるからだ。我々の直観に反するのは、ヤムイモが人間のようなエージェントであると同時に「芸術作品」でもあると考えられている点である。自らによって成長する事物を芸術作品とみなすことが(我々にとって)困難なのは、「アート」という概念の根幹に「アーティスト」の活動性が組み込まれているからである。しかしアートの人類学の見地からすれば、これは相対的な問題にすぎない。あらゆるインデックスは、それを構成する各部分が互いに影響を与えあうという点において、自らに対してエージェンシーを発揮する。
Ex1中国雑技団の人間ピラミッド(p42図3.10/1)
:ピラミッドの各部(各雑技団員)は互いに支え/支えられることで影響を与えあう。
Ex2ゲシュタルト心理学の図(P43図3.10/2)
:四角い枠とその内部に置かれた黒円が影響を与え合って、図に動きや緊張を生み出す。


アーティスト(A)→アーティスト(P)

どんなアーティストも、自らが発揮するエージェンシーに対して受動的な(ペーシェントの)位置を占める。例えば、今まで描いたことのない事物をはじめて描こうとするときのことを考えてみよう。紙の上に現れる線は自分で描いたものであっても、必ずしも最初の意図通りにはならず、そこには常に驚きがある。この時、描き手は常に自らの筆使いがひきおこす作用に対してペーシェントの位置を占める。本職のアーティストもまた、何かを作り上げると同時に出来上がったものを判断するという一連(generate and test)の過程を経て、作品を完成していく。アーティスト自身も自らが作り上げたものに驚き魅了される。自
らの創造物がうまれ出るとき、彼らもまた受動的な観客(spectator)の一人となる。


レシピアント(A)→レシピアント(P)

レシピアントというカテゴリーは、非常に顕著な仕方でエージェントとペーシェントに分かれる。前者はパトロンであり、後者は観客である。しかしながら、パトロンは、インデックスに感銘を受ける(=受動的な観客となる)ことがないかぎり、パトロンとはなりえない。レシピアントがエージェントとして現れるときそこには常にペーシェントとしてのレシピアントの有様が含みこまれているのである。


プロトタイプ(A)→プロトタイプ(P)

インデックスによって表象される人物が、インデックスが表象する自らの姿に対して受動的な立場にたつ場合。
Ex.チャーチルは、Sutherlandの描いた自らの絵を嫌いその流通を防ごうとした。
Ex.水溜りに映る自らの姿に魅了されたナルシスの神話。