Alfred Gell『Art and Agecy』読解1


今日から約一週間、米国の人類学者アルフレッド・ジェルの遺作となった本書『アートとエージェンシー』について要約+検討することにしました。大学院ゼミで一冊丸々レジュメをつくらなければならなくなったのが主な動機ですが、レジュメには収まりきらない背景や射程を含めここで考察していこうと思います。


Alfred.Gell 1998 Art and Agecy:an anthropological theory Clarendon Pr.




1章 問題設定:アートの人類学の必要性


[要約]


本書でジェルは、アート(主に絵画や彫刻などの視覚芸術)に関する人類学理論を構築しようと試みる。一章では、彼の目指す「アートの人類学理論」(Anthoropological Theory of Art)とはいかなるものであるか、その輪郭が描かれる。


アートの人類学といえば、旧植民地における芸術作品や、いわゆる「プリミティブ・アート」を扱う理論のことだと一般に考えられている。そこでは、各文化が固有の審美的な体系を持っていることが前提とされ、そうした「土着の美学」の詳細を明らかにすることがアートの人類学の課題とされる。しかし、本書で探求されるのは、こうした「人類学的なアート」を分析することではなく、「人類学的に」アートを分析することである。


ボアズやクローバーの伝統に属する多くの研究者が、人類学の主要な対象は文化であるとみなしてきた。しかしこの定式化には問題がある。文化とは、社会的な相互作用において明示されない限り存在しないものだからだ。ボアズ派の人類学は総じて文化を実体化するものであり、「土着の美学」を解明せんとする企図もまた、「美的な反応」をそれが明示される社会的コンテクストとは切り離して実体化してしまう点に問題がある。


人類学の主な目的は、文化的・象徴的・審美的な体系の解明ではなく、社会関係のコンテクストにおいてなされる行為を理解することだ。したがって、人類学的にアートを分析するということは、アート・オブジェクトの生産および流通が社会的なコンテクストにおいてはたす作用を解明することである。ただし、それは芸術をめぐる社会制度の解明をめざすアート(制度)の社会学とも異なる。非西洋社会でアートの生産と流通のコンテクストを提供するのは、より社会全体に関わる制度(祭儀や交換システムなど)である。したがって美術館や批評家といったアートに限定された制度に考察を限定する社会学的研究は、アートの人類学たりえない。


ここで「アート・オブジェクト」をどう定義するかが問題になる。一般にアート・オブジェクトは(1)審美的な反応を引き起こす人工物、あるいは(2)言語のように何らかの「意味」をコミュニケートするための象徴的記号、として把握される。しかし、どちらも妥当ではない。第一に、アート・オブジェクトをそれとして配置する社会的なプロセスから「美なるもの」のみを抽象化して抜き出すことなどできない。第二に、アートとは世界についての象徴的な命題をコード化する体系ではなく、むしろ世界を変えることを意図した行為のシステムである。


以上の考察を経て、本書ではアート・オブジェクトが「社会的なエージェンシーを媒介する事物」と定義される。さらに、アート・オブジェクトが人間(person)と同じく社会的なエージェンシーを発揮すると見なすことが分析の基礎に据えられる。こうして本書で探求されるアートの人類学理論とは、「社会的エージェンシーを媒介する事物をめぐる社会関係」の理論的研究であることが示される。


[考察]


本章についての考察は、本書全体を検討し終えてないからでないとどうも方向性が定まらないため、いまだ工事中。ただ現時点で思いついてるアイディアだけメモしておく。


・本書は「アートを社会関係として分析した研究」なのか、それとも「社会関係をアートとして分析した研究」なのか。おそらくそのどちらでもあるだろう。ただし、そこで言われているアートなるものが、「アート・のようなもの:art-like」でしかない点が肝となっている。


・ジェルが本書で考察している対象は、主に①西洋的な芸術観では捉えきれないけれども西洋人が自分たちがアートと呼ぶものと似たものと感じてしまう非西洋の人工物やそれをめぐる社会関係と、②西洋のアートの近辺にありながら通常はアートとは無関係なものとして排除されるような実践および関係性、である。そうなると、これらの「アート・のようなもの:art-like」の領域に内在する論理を取り出すことによって、「アート」という概念と「エージェンシー」という概念をともに拡張することが本書の狙いである、と言えるような気もするが・・・


以下工事中…