「俺は人間じゃない」って、必死な主張?

ある研究会で、話の流れから「いや僕はあんま人間に興味ないですから」と言ったことを思い出した。その時の意図としては、個人というかビオスべったり前提にして話すのは面白いと思わない、っていうくらいの気持ちだったのだが、しかし考えてみればこの発言はなんか変だ。だって、そう言ってる本人がいちおう人間なわけだし。サルが表出できるだろうか、「いや僕はあんまサルに興味ないですから」的なことを。そんなサルがいたら結構好きだけどさ。


と、話はいきなり飛んで


そもそも「人間」って言葉は変だ。誰かを非難して「あいつは人間じゃない」って言ってみても良いのだけど、別にそのひとが本当に人間じゃないってことを言いたいわけじゃない。でも、動物学者が「あれはサルじゃない」って言えば、「へーそうなんだ、サルっぽいけどね」と思うぐらいだ。
要は要素aが集合Xに含まれている時に、「a is X」を否定しないまま「a is not X」って言ってるわけで、ま、矛盾してる。


こういう表現ができる集合Xというかカテゴリーってほかにあるだろうかって考えたら、それなりにあるわけで(「あんなのは会社じゃない」とか「こんなのは家族じゃない」とか)別に「人間」だけに当てはまる特徴じゃないな、と。でも、そういう発言全部の可能性の源泉というかエッセンスみたいなものが「あいつは人間じゃない」って言葉に強く感じ取れるような気もする。


集合のなかで理想的な性質を備えたもの(プロトタイプ)とそっから遠く離れたものがある、なんていう認知人類学的な話にすぎないんだったら全然面白くないんだけど、そういうことを言いたいわけではない。でもあんまり変わらないのかもしれない。どうもどこかで立論を間違えてるな。助けてくれ>Musae君 (多分カテゴリーの話ではないか、カテゴリーの話にするんだったらもっと精緻にやらなければならないか、理想的な性質をそなえた要素なんてのがそもそもおかしいって方向からやるか)


ま、ようは何がいいたかったかっていうと、「あいつは人間じゃない」ってのと、「こんなのはロボットじゃない」ってのが似てる気がするってことだったんですが。理想が構成的にでてくる点で(?)。


しかし、これはなんか全く論になっていないですね。とても眠いので後日あらためて考えてみようっと。