『今日のトーテミスム』5章


クロード・レヴィ=ストロース『今日のトーテミスム』[1970仲沢紀雄訳 みすず書房


第5章 心の中のトーテミスム


ラドクリフ=ブラウンの先駆者ベルクソンとルソー


ベルクソン


1958『道徳と宗教のニ源泉』のなかにみられるラドクリフ=ブラウンとの類似。


§トーテミスムの前提
=<人間がある動物種、あるいはさらにある植物種、時には一つの単なる生命なき物体を、宗教に似ていないとはいえない敬意をもって扱うこと。>
⇒この敬意は動植物と氏族の成員が一つであるという信仰に結びついている。
⇒この信仰はいかに説明されるか
従来の解釈は二つの仮説の間に並列する。
Aレヴィ=ブリュール式の融即/Bデュルケームの呼称への還元
⇒どちらも動植物種への偏向を説明できず。
§人が動植物を知覚し思考する独自なものはあるかを問うべき。
<人間と動物あるいは植物との間の関係を特徴づけるものは、個体を通り超えた属の直接の知覚である。><二氏族に異なる動物の名を与えることで双方の氏族が生物学的意味で二つの種を構成することを明記できる>

ベルクソンはトーテミスムによって外婚制を擁護せんとするが、外婚制は生物学的に有害な近親婚を避ける本能からくるとする。⇒矛盾(動物は同族婚)
矛盾解消の為、自説を曲げる
:人間が同族婚を避ける現実の本能はない
ただ代わりに、《行動を決定すべき想像力の表象》があり、それは一つの形式に還元される。
<二氏族の成員が二種の動物種を構成すると宣言する時、彼らは二元性を強調している>

§なぜ、社会学ベルクソン>心理学的デュルケームか?
ベルクソンデュルケームの言うような意味での社会学者の逆であろうと志す限りにおいて、属の範疇と対立の観念とを、社会的秩序が自己を設定しようとして用いたご精の直接与件とすることができた
ベルクソンとシウー・インディアンの哲学の類似(p160):現実=連続と非連続の相互補完


<ルソー>


1754年『不平等の起源に関する論文』
彼は、ベルクソンよりは思慮深く、自然の秩序に属するがゆえに自然を超えることを許さない本能に訴えることは避ける。


§三重の移行
1動物⇒人間
2自然⇒文化へ:
条件は人口増加⇒自然との関係の多様化⇒自然との関係を思考することが必要に
結果、
3情緒⇒知性へ
各項を分離するとト―テミスムの発生が理解できなくなる。


§ルソーの答え
項の区別を維持したままで、情緒的、知的内容を持ち、自覚するだけで一方から他方の次元に変換可能な精神状態=他者との同体化によって。このとき項の二元性は相の二元性に対応。
      ⇔人間はまず全ての同類(動物含む)と同一でありと感じる
そののち、
自分を区別し同類相互を区別する能力=種の多様性を社会分化の概念的支柱とする能力を獲得する。


§言語の歩み


人間と動物の総括的把握は対立の意識をあとに従えている。
第一に場の構成要素とされた論理的要因間の対立、
第二に場の内部における《人間》と《人間でないもの》の対立。
これぞ言語の歩みに他ならない。言語の起源は必要にでなく情念にあり、結果最初の言語は比喩的(特に隠喩的)なものであった。知覚の対象とそれが呼ぶ感動を包括する比喩的言語が論弁的思惟の最初の形を構成し、後に分析的還元が思いつかれた。


人をして話さしめた最初の動機は情念であったため、人間の最初の表現は比喩であった。比喩的言語がまず誕生し、本義は最後に見つけられた。事物をその新の姿で見たときに、初めて、人はこれを真の名で呼んだのだ。初めは、人は詩のみで語った。推論することを思いついたのはずっとあとのことだ。(ルソー〔2〕p565)


いわゆるトーテミスムは、悟性の分野に属する。トーテミスムが答えるべき領域はまず知的秩序に属する。この意味でトーテミスムは古くも遠くもない。その本質は外からくるのではない。というのも、この幻想が一片の真理を含むならば、それはわれわれの外にではなく、われわれの内にあるのだから。