みんなのトラウマ探検隊?


学年的には後輩の友達にメール書きながら、なんとなく思ったこと。


 文系の研究でできることってのは、みんなのトラウマ(もはやうまくいかなくなっている社会的な暗黙の前提)を対象化して、新たに現状的確な前提を再設定する/埋め込んでしまう、あるいはそういう動きになんしか力を添えるってことだろうよ、と。それができれば、役に立つか役に立たないかなんてそもそも問題にならないまま流通しちゃうわけで。役に立つ/役に立たないっていう枠組み自体を作りかえちゃうってことだかんね。ま、大変ですが。何より、みんなのトラウマを対象化するためには、まずは自分のトラウマを徹底的に対象化する必要があることが多いので。


 「社会的な暗黙の前提」を、「自然の基本的な前提」に置き換えれば、理系の研究についても同じことが言えるような気がするけど、ま、てきとうなことはあまり言わないようにしましょう。文系研究についてもこれであってんのかどうかよくわからないしね。ま、自分にとってはそんな風に思えますよってことで、もう寝てしまいますよね。