例え話と事例研究の違い


このところ理論的な作業をしばらく続けてきて、考えるに、そろそろフィールドワークに専心しても大丈夫なのかもしれない。


下の論文草稿―特に4章で事例から言葉を引き出していく過程―を思い返すと、事例が勝手に理論を作っていってくれる運動というのが自分のやってることにおいてはやはり根幹になるのではないかと思う。


個別具体的なことには、常識という名の理論も常識となっている理論もともに捉えきれない何かしらの可能性が常に透けて見えている。

その筋道を少しあけてよりよく見えるものにすること、自分の出来ることはせいぜいそのあたりにしかないし、それをきちんとやることはほんとに難しい。


まず理論を作ってそれから「例えば〜」と事例を持ってくるのか、「例えば〜」と先にいってしまってからそこから理論が生まれていく過程を事例とともに辿っていくのか。目指す先が似ていたとしても、今のところ自分には後者が向いているようだ。>retrosection君