7.「一と多」ではなく


 主張Bの検討に入る前に、<自然の法則>と<人為的規則>の区別の不当性を指摘する浜本の議論が、なぜ文化概念を再構築する上で有用と考えられるかを説明しておきたい。それは、簡潔に言って、相対主義的文化観が、一つの(=適用範囲が限定されない)自然法則と複数の(=適用範囲がそれぞれ限定された)人為的規則つまり文化の並置を前提にして成り立っているからである。


 文化相対主義の典型的な主張は次のようなものである*1

異なる文化に属する人々は「世界を異なる仕方で見ている」

 より洗練された言い方としては、カッコ内を「経験を異なった仕方で組織している」とか「異なったやりかたで経験を意味付けている」とする場合もあるだろう。いずれにしても、これらの主張は、単一の<世界>と複数の<世界の見方>を対置することで成り立つ。*2。人々は単一の世界に住みながらも、複数の異なるやり方で世界を認識し経験する。<世界の見方>はそれぞれの社会の構成員が暗黙のうちに前提としている約束事であり、それこそが文化に他ならないというわけだ。
具体的な例を次に挙げる。

腰をかがめるという身体的動作は、意味の体系(文化)に媒介されて、はじめて「おじぎ」そして「挨拶」という社会的に有意味な行為として経験される。[…]身体的動作が「日本文化」によって媒介され、「挨拶」という有意味な行為へと変換されるといえる[大田2001:53]*3

ここでも単一の世界に属する<「腰をかがめる」という身体的動作>と複数の世界の見方の一つが生み出す<おじぎ>が対置されている。


 文化概念に対する従来の人類学的批判のほとんどは、<世界の見方=文化>の形態についてのものであった。静態的な文化観を批判する論者も、個々人の主体的な文化的実践を重視する論者も、単一の<世界>と複数の<世界の見方>という前提に立っている点では彼らの批判する立場と全く変わることはない。


 相対主義的な文化概念の困窮を乗り越えるためには、単に<世界の見方>の形態を論じるのではなく、一なる<世界>と多なる<世界の見方>という区分こそを切り崩す必要がある。そして、一なる<世界>という前提を支えてきたものこそ、適用範囲の限定されないルールとしての自然法則とそれを明らかにするものとしての科学的知識のカップリングである。というのも、文化によって世界の見方が異なるという主張の根拠は、同じもの(例えば腰を屈めるという動作)が異なる場所では異なるもの(例えばおじぎ)とされるという経験的事実にある。したがって、「同じもの」を見出す<世界の見方>は他の<世界の見方>とは切り離され、世界そのものの正確な反映と位置づけられなければならないのである。それこそが自然の事実を正確に反映するものとしての科学的知識に他ならない。


したがって、文化相対主義とは、普遍的な自然法則=科学的真理の存在を前提にして、それと相互補完的に機能することで成立してきた見地に他ならない。相対主義的文化観とそれが引き起こす問題を真に棄却するためには、自然法則=科学的真理の普遍性という我々にとって自明の前提を掘り崩す必要がある。しかしそれは、科学的知識もまた相対的であると主張することでは断じてない。そうではなくて、一なる<自然>と多なる<文化>という前提を棄却すること、つまり科学的知識の普遍性と文化的意味の相対性を同時に自壊させること、その上で、新たに科学と文化の関係を作り上げることが要請されるのである。

 
さて、こうして多分に賭金を吊り上げたとき、浜本の議論の問題点が明確になる*4

もう一度、前節で取り上げた浜本の議論の出発点を振り返ってみよう。彼は二つの知識を並置し、それらについて二段階の主張を行っている。

1.人はビルの十階から落ちれば間違いなく死ぬ。
2.ナイフで怪我をした時には特定の植物を用いた薬液でそのナイフを洗えば傷の回復は早まる、あるいはそうしなければ傷の治りが遅れるどころか、同様な事故が屋敷の他の人々にも降り懸かることになる。

(A)1が我々にとってそうであるように2はドゥルマの人々にとって世界についての当たり前の事実である。

(B)1や2が世界についての当たり前の知識になっているのは、経験による完璧な裏づけや理論による裏打ちの結果ではなく、単に誰かからそう教えられ、誰もがそう言っているという事実の結果である。

ここで検討するのは主張(B)である。この主張は浜本儀礼論の考察1で述べた<言説のネットワークとしての文化>という浜本の提示するモデルを忠実に反映している。しかし、この主張に反論することは容易である。ためしに前節で活躍していただいた常識人に再び登場してもらおう。彼は科学的精神をもって浜本の議論を批判してくれるはずである。

「人はビルの十階から落ちれば間違いなく死ぬ」という知識に万有引力の法則は全く介入していないのだろうか。例えば、二階ほどのビルしかない地域に住んでいて十階もあるビルが存在することなど全く知らない飛び降り好きの田舎ものが、都会にきて十階のビルの屋上に立ったとき、彼は飛び降りるだろうか。浜本が言うように「人はビルの十階から落ちれば間違いなく死ぬ」という知識が、単に誰かからそう教えられ、誰もがそう言っているという事実に依拠しているのであれば、彼にはその知識はないことになる。しかしながら、彼がビルの十階から喜んで飛び降りるとは思えない。彼は一階建ての建物よりも二階だての建物から飛び降りたほうが―より単純に言えば高いところから飛び降りたほうが―着地の衝撃が大きいという力学的真理を田舎で飛び降りに興じていた時から体で知っていたのであり、その知識は誰からか教えられたり誰もがそう言っていることの結果ではない。

この批判は浜本があげている第三の例についても言えることである。

浜本は次のように言う。「部屋の特定のスイッチを押せば部屋に電灯がつくことは、壁の中の配線の存在や電気の仕組みについて何も知らない幼稚園児ですら知っている。そのスイッチを押せば電灯がつくのは当たり前であり、彼にとって世界はそんな風にできているのである。」幼稚園児は確かに電気の仕組みや配線の存在を知らなくても、スイッチを押すと明かりがつくことを当たり前の事実として知るだろう。しかし、それは必ずしも「誰かからそう教えられ、誰もがそう言っているという事実の結果」であるとは限らない。むしろ、多くの場合、(他人ないし自分が)スイッチを押すという身体的な動作にともなって明かりがつくという事象が起こるという経験を繰り返すことで、<スイッチを押す→明かりがつく>という因果関係が自明の知識の一部になっていくのであり、他者による言明はせいぜい補助的な効果を持つにすぎないのではないか。

世界についての当たり前の知識を構成するのは、第一に世界と人間の身体的かつ生命的な営みである。それは、普遍的な規則に従うものでもなく、個別の文化に規定されるものでもない。←これは結論で言いたいことの一つであって現時点ではもちろん言えない。


以上で指摘したように、浜本の議論の問題点の一つは、「世界についてのあたりまえの事実」の根拠を言説レベル(誰かからそう教えられ、誰もがそう言っているという事実)に還元してしまうことである。前述した常識人による批判は、「ビルの十階から落ちれば人は死ぬ」とか「スイッチを押せば電気がつく」といった言明が世界の秩序についての当たり前の知識となっていることの根拠は、モノと人間の物理的-身体的関係にもとづく営みにあることを指摘するものである。「スイッチを押せば電気がつく」と誰もが言っていたとしても、電灯もスイッチもない地域の幼稚園児はそれが当たり前の事実であると見なすことはないだろう。むしろこれらの知識は別の原因によって、「世界についてのあたりまえの事実」となっているのであって、その結果として誰もがそう言っているという事実が生まれているのではないだろうか。


もちろん、言説に支えられている秩序、浜本のいう比喩的秩序=「修辞であることをやめた比喩によって構造化された経験領域、比喩的なリアリティあるいはリアリティとなった比喩の秩序」に関してだけその根拠は言説空間にあるとすることはできる。しかし、その場合、この経験領域が他の二つの経験領域(自然の法則による秩序と人為的規則によつ秩序)といかに区別できるのか、それらといかに関係しているのかという問題が残る。あるいは3つの領域があるのではない、むしろ比喩的秩序の領域が我々の日常を覆っているのであり、その両極に理念的な秩序観として自然の法則と人為的規則があるのだ、と言うとしても、何故比喩的秩序から両者が理念型として抽出されうるのかという問題が残る。


なによりも、浜本の議論が結論する儀礼的慣行の無根拠性・恣意性は、完全なる相対主義を帰結すると判断されても仕方のない部分がある。浜本の記述をその危険性がもっとも高いラインに沿って抜粋すると次のようになる。「ドゥルマでは、夫が水甕を動かすと妻が死ぬのということが世界に対する当たり前の事実である」→「それがなぜ当たり前の事実であるのかという問いは、なぜ水のことを例えば『ミオ』といわずに『ミズ』というのかという問いと同じで答えなどありはしない」→「それは単に生きられてしまっているような規約性によるものなのである」。しかし、ここまで言い切ってしまえば、「ドゥルマでは、夫が水甕を動かすと妻が死ぬということが世界についての当たり前の事実であるのは何故か」という人類学者がふつう解答を期待される問いに対して、まともに答えることは難しくなってしまうのではないだろうか。


浜本は構成的規則の性質を、「単に生きられてしまっているような規約性」と呼んでいる。ここでの目論見の一つは、浜本の結論において強調されすぎていると思われる「無根拠で恣意的な規約」という表現を放棄し、「規約が生きられる」ということの内実をより豊かに描き出すことで<規約=恣意>性か所与の根拠かという二分法を放遂することである。この方向では、浜本が依拠するソシュール記号学における「恣意性の原理」を批判するいくつかの議論を参考にしながら考察を展開していくことになるだろう。具体的に焦点となるのは次の点である。


ソシュールの記号(シーニョ)概念は、事物と事物の名を対置し後者を言語とする見方を否定することで成り立っている。つまり、記号はモノと対置されない。しかし、ソシュール記号学は、基本的に人々の日常的な振る舞いにおける言語活動(パロール)ではなく、それを規定するものとして設定された体系としての言語(ラング)を分析対象として構築されている。一方の人類学は参与観察によるパロールの分析を基盤にするものである。したがって、ソシュール記号学の人類学理論への導入には、人類学者が意識するかどうかに関わらず、常にパロールをラングに変換してしまう、あるいは(前者と連動していると思われるが)モノと言葉を対置した上で言葉の体系のみを取り出してしまう、という危険が伴う。ソシュール記号学の人類学への影響については、勉強不足で明確なことは言えない。ただし、その言語中心主義的記号観と相対主義的文化観、あるいは象徴分析や言語システム論といった20世紀後半の人類学理論の親和性が高いことは指摘できるだろう。

一方、ソシュールの記号観とは異なる見解もないわけではない。例えば、浜本の理論的基盤の一つであると思われるレヴィ=ストロース(特に言語が本質的に自らに対してズレを伴うものであるという見方、象徴論的解決の拒否などに直接的な影響が見うけられる。)は、恣意性の原理が説得力を失いつつあるという認識を『野生の思考』において示している。レヴィ=ストロースが恣意性の原理を完全に否定したとは言えないまでも、「恣意性から有縁性に向かう」ソシュールに対置して自らの立場を「有縁性から恣意性に向かう」と表現したレヴィ=ストロース記号論の含意は現在でも十分に解き明かされているとは言えないだろう*5


簡単にいえば、浜本の精巧な議論のなかで「恣意性の原理」が導入される手つきだけがどうにも怪しく感じられるのである。それは厳密な思考の果てに導き出されたものというよりも、フィールドワークを生きてきた経験の中で形成されたある種のスタンスを反映しているように感じられる。そして、浜本の議論を構成する様々な理論的装置の作動が、どこかで恣意性というゴールがあらかじめ設定されていることによって歪められているという印象を受ける。


本考察の目的の一つは、浜本の議論を形作る諸装置を恣意性を帰結しない形で再構成することである。それは、しばしば恣意性の部分だけで理解され感情的な反発を引き起こしてきた浜本の議論が持つ可能性を新たに展開していくことに他ならない。そのために、恣意性の原理と他の理論装置の矛盾をあぶりだして行くことが一つの戦略として有用だろう。その方策として有力な候補の一つが、浜本による「自然の法則と人為的規則という二分法への批判」に注目しその曖昧な含意を精緻化していくことである。というのも、ソシュール記号学の「恣意性の原理」こそ、近代的・人間中心主義的な<対比>つまり自然/文化という二項対立を前提とするものであるからだ[菅野1999:10]*6。浜本の議論は、一方で<一なる世界=自然>と<多なる世界の見方=文化>という二分法を否定し、他方その言語中心主義において二分法に依拠している。この奇妙なねじれを解きほぐすことで恣意性を放遂すること。しかしこの目論見は現在のところ仮説の域をでない。より具体的な分析が必要となるだろう。

*1:ここで相対主義と呼ぶのは、あくまで文化人類学におけるそれである。哲学的な主題としての相対主義と文化相対主義とは異なる

*2:この点で相対主義は「主義」ではありえない。特定の事物がなんであるかはそれを見るものにとって相対的に異なるという主張は、その事物が誰に見られようともある領域においては同じものであるとされる限りにおいて成立する。そうでなければ、複数の異なる見方で同じものが見られていることにはならないから、比較対象にはならず、したがって異なるものであるとも言えない。つまり、相対主義本質主義を前提にしないと主張できず、定義上それは矛盾している。したがって、相対主義は、正確に理解されるかぎり理論でも方法論でもなく、ここ数世紀のあいだ我々が巻き込まれているパラドックスを示するものに他ならない。←この記述はまだ不十分なものであり、後に詳細に説明する必要があるだろう。また、相対主義的文化観の依拠する論理を明確に把握するためには系譜学的分析が不可欠となる。この方向ではおそらくカント→ドイツ観念論→ボアズというライン、つまり科学から文化相対主義が産み落とされる過程、科学の水子としての人類学の誕生の軌跡を追うことが有用かと思われるが、その詳細な分析には文献調査が不十分であり、また後日行う必要があるだろう。

*3:民族誌的近代への介入―文化を語る権利は誰にあるのか (叢書文化研究)。引用箇所は、大田がギアツの文化概念をJ・B・トンプソンがどう把握したかを説明している部分であり大、大田自身の主張ではない。ここでは太田の主張としてではなく、単に文化という概念が導き出される手続きとして典型的な例として提示した

*4:もちろんここで課題として提示したものは浜本自身の想定する課題とは異なるものだろう。ここでの考察の目的はあくまで浜本の議論の発展的可能性を検討することである。

*5:『野生の思考』p187参照

野生の思考

野生の思考

*6:菅野盾樹1999『恣意性の神話』勁草書房